坐禅普及

主旨は慈悲。行は坐禅。

一切皆苦の理由

荒野に立っている。何かよいものがないかと、素手で周りの土を掘り返すが何も出てこない。 掘っても、掘っても、探しても、探しても何も出てこない。疲れて、爪に挟まった土を見る。また、何かよいものがないかと土を掘り返す。やはり、何も出てこない。得よ…

在家修行の問題性

1 仏道修行は利己主義を懐疑する「人生というものは元来我儘なものです。つまり人間の行動は全て利己主義的なものです。つまり人間の行動の全ては利己主義的なものです。人間はそれぞれ自分の理想を持っていますが、その理想の正体も結局のところ自己満足の…

「輪廻」という「真理」?=上座仏教の神秘主義的性格

坐禅を始めてから、落ちつけるようになると同時に、積極的に物事に対処できるようになるなど、日常が手堅くよくなってきたことから、坐禅を行とする禅や仏教について学んだり、実践する中で、上座仏教に興味を持ち、上座仏教の勉強会にも行くようになりまし…

個人の人生の充足と、他者=世界の調和との一致点としての「慈悲」

「臨済のいう出家とは伝統的な生活からの逃避と解すべきではない。家とはわれわれの生命を囲繞して圧迫阻害する偏見的思想、反生命的価値観、環境対象に牛耳られる執着――即ち人間の生命を幽閉するもろもろの化石的な殻という意味である。従って禅門における…

仏教はなく、禅もない

「全部が仏法であり、特別なものは、何に一つもなかったのです。したがって仏法は特別な神がかり的な自己満足的修行することではなかったのです。何故ならば、一切衆生悉有仏性だからです。したがって宇宙の全てが仏性、即ち真実です。故にこれこそはという…

【参考資料】仏教/禅は自由を説く

(1)鈴木大拙1)「禅は心を純粋の虚無にするがごときまったくの否定ではない。何となれば、それは知的自殺だからである。禅には何か自己肯定のものがある。しかもそれは自由であり、絶対である。そして限界を知らず、抽象の取扱いを拒むものである。禅は…

【参考資料】現象に徹し、現象の要因、背景を妄想しない

禅が不立文字というのは要するにこういうこと。 一言でいえば…… 「禅そのものの説明ということはあり得ない。禅そのものはないからである。」(上田閑照『禅仏教』3頁) この後には、「あるいは、『風が吹く』ーーそれが禅であり、『腹が痛い』ーーそれが禅…

利他は個人の自由意志に基づかなくてはならない。

「仏教は慈悲を以て主旨とする」(釈宗演『一字不説』2頁) 仏教と呼ばれる宗派には色々あるけれど、その共通する本質は、慈悲、すなわち、利他であるとつくづく思う。 「大慈悲を有(も)ってあれば、誰れでも(略)、立派な佛であります。(略)慈悲心の…

生まれてきた理由

「人間は誰かを愛するために生まれてきたのです。誰も愛さないで死んでいくことは、せっかく生きてきたのに惜しいことだと思います。 もちろん、愛したらいろんな苦しみがともないます。けれどもその苦しみを味わわないと、人間の真のやさしさとか想像力とか…

当処即蓮華国

「大に有事にして過ごす処の人間,今日の生存競争場裡の働きが其儘無事底の境界で,何程どんちゃん働いて居ても無事じゃ。朝から晩まで,あくせくと働いて其上が,しかもそのまま無事じゃ。世間から離れる意味ではない。」 (釈宗活『臨済録講話』221~2…

仏道修行者と知能が平均以上の自閉症(その1)

1 自信の持てない仏道修行者 ちょっとの勉強のつもりで、自閉症の本を読むようになったのですが、現在の自閉症の研究の知見を踏まえると、仏道に絡むいろいろな現象について、合理的に説明ができるように感じています。 なお、念のためですが、最近の研究に…

【資料】碧巌録第五則『雪峰大地撮来』

【本則】 挙す。雪峰衆に示して云く、尽大地撮し来るに粟米粒の大きさの如し。面前に抛向(ほうこう)し、漆桶不会(しっつうふえ)。鼓(こ)を打って普請(ふしん)して看よ。【和訳】 一日雪峰和尚大衆に示して、尽大地といえば、如何にも大きいようであ…

理系の人が仏道に興味を持つ要因?

座禅会やテーラワーダの瞑想会に行くと、相当程度、理系の大学の卒業者や理系の仕事をしている人がいます。 特に、20代から30代の人だと、IT関係の人がよくいます。 アップル社のビル・ゲイツのように、米国のIT企業の関係者の中に、マインドフルネ…

平穏無事を目指すなら生まれる必要はない

「あらゆる煩悩を挫断して、此世界に超越することが能きれば、これが悟りの境涯であると思い、安心して座り込んでいては不可ぬ。(略)今日という実際世界へ飛び出し、自由自在の働きをするのでなければならぬ。」(釈宗演「禅学大衆講話」『釈宗演全集第一巻…

感謝とは幸福を意識化することである。

「信ずると言うことを二つに分けますると、まあ斯う言うものであろうと思う。解信(かいしん)と仰心(こうしん)の此二つである。(略)智的要求に応ずるには、聖道門、情的要求に応ずるには浄土門であって、解心は乃ち聖道門に属し、仰信は乃ち浄土門に属…

「分別心」の否定ではなく、限定

「すべてのものに優劣はなく、善悪もなく、尊重すべきものは何もない」という考えを友人に語っており、これを「等価思想」と名付けていたという。A少年が学校で暴力事件を起こしたときに「人の命はアリやゴキブリと同じ」と語っていたことに通じる考え方で…

瓦を磨く

「私が実践しているのは、母の頭の中の妄想や景色に付き合う方法で、意外と楽だし面白いんです。たとえば、母はいつの間にか、夢と現実とが混ざっているような状態になって、「さあ、寝ますよ」というと「ちょっと待って、赤ん坊をどうするの」といってきま…

【参考資料】生きて死ぬだけ

(1)神保如天『従容録講話』序「私どもは何の為に生れたか、何故死ぬるか、這んなことは問題にならぬ。何の為でも、何故でもない生まれたから生きてをる。死ぬから死ぬるのである、それ以上何と理屈をつけても詮無いことである。生を生とさとり、死を死と…

よい仕事をし、よい家庭を築く

「われわれがこの苦の世界に生まれ生きているのは、愛するためであり、働くためであって、苦から逃れるためではない。われわれにとっては、日々の愛や悲しみや労働の生活以外に、釈尊の悟ったさとりを現成せしめる道はないのである。」 (松本史朗『仏教への…

「病んでいる」という病

「「一念不生全体現、」(略)以下四句、禅修行の心得であります。(略)一念と云うは、可愛い―――憎い―――ほしい―――おしい―――と云う、それであります。かかる念慮は何人にも胸中に生じます。(略)種々様々の念慮の生ずるのが、心の本質であります。一応字面…

一指頭受用不盡

「真なるが故に新なり。太陽は朝々東より出で、夜々西に没し、往古来今同じ事を繰返して居って、いつも清新であって陳腐ではありません。天龍和尚より伝えられたる一指頭の禅、俱胝に至って一生受用して盡きず、いつも清新であって陳腐を見なかったのは、此…

健全な「悟り」

「悟り」とは、上座仏教であれば、貪瞋痴を断滅することであり、大乗仏教であれば、自他不二を体認することです。 いずれも、趣旨は分かります。 けれども、いずれも、過度の瞑想等による血中酸素濃度の低下等によって引き起こされた変性意識下での異常体験…

行は助けにすぎない

「看経(かんきん)、礼仏、布施、作福などの事は、ただ助道の跡にすぎないので、道は必ずしも此処に在るのではない。 深山窮谷に隠れて草衣木食するようなのは、幽人高尚の志の現われで道とは関係なしと言っても可い。 余は林下に淪棄(りんき・注)して世…

正受の仕方

臨済禅における公案にはいくつかの種類があり、それぞれの狙いがありますが、公案を用いての独参の最も重要な狙いは、正受する力を養うことにあると考えています。 法理などを何らかの形で、知る、感じる、体認するという狙いもありますが、法理等は言葉によ…

共在性

「私はよく中年女性の会話に耳を傾けます。こんなに会話を楽しむ人たちもいないからです。「久しぶり」などと、互いの近況などをまず話します。 この辺まではかみ合っているのですが、徐々に合わなくなります。互いが互いの話したいことをしゃべるからです。…

浄土門から見た禅修行の目的地(第2版)

「念仏は、まことに浄土(じようど)にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄(じごく)におつべき業(ごう)にてやはんべるらん。総(そう)じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人(ほうねんしようにん)にすかされまいらせて、念仏して地獄(じごく)にお…

緩やかな「空」の捉え方

仏教に出てくる「空」の概念については、いくつかの捉え方があり、一番流布しているものは、中観派の空観でしょう。 「〈空〉というものは無や断滅ではなくて、肯定と否定、有と無、常住と断滅というような二つのものの対立を離れたものである。したがって空…

随時更新『問答メモ』(追加問16~25)

(追加部分) 問16 佛道(仏教)を学ぶ価値はどこにあるのか。 答16 生きていく上でのアイディアを得る。 しかし、とらわれない。 わからなければ無視をする。 佛道を学ぶ前から生きており、生きる上では、佛教は不要。 慈悲を勧める教えだと考えて仏教…

利他とは自利である

慈悲とは、自分の生命を自分以外のために使うことです。 昔から、ほかの人の役に立つことに興味があって、中高生の頃は、ボランティア活動の団体に入ったり、仕事も公益の実現に寄与できるものを選び、今でも、余暇には、傾聴のボランティアに行ったり、献血…

仏道とAI/受動と作用

AIが発達し、次第に、人間がやるものとされていた「労働」をAIが代わって処理するようになってきていることに伴って、そのうち、AIが人間にとって代わるのではないかとの危機感の下、AIにはできない人間しかできないことを探すことなどといった人間像の見直…