坐禅普及

主旨は慈悲。行は坐禅。

2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧

言語と現実

現実を言葉にすると、現実から来る不安が解消される。 非現実を言葉にすると、妄想から不安が生じる。 最近、こんなことを考えます。 以前、プラユキ・ナラテボー師の瞑想会に出席したとき、日常生活で生じることについて、ラベリングをすることにより、心を…

慈悲、そして、言語=形而上学の否定

「仏教は慈悲を以て主旨とする」(釈宗演『一字不説』2頁) 偶然、釈宗演老師が、肥前鹿児島仏教会でなさった法話をまとめた『一字不説』に目を通したところ、いきなり目に入ったのが、冒頭引用のフレーズでした。 当り前といえば当り前、凡庸といえば凡庸…

釈迦という男をどう見るか?

仏教を、「病院」や「薬」という比喩で捉える見方があります。 「「苦・集・滅・道」という四諦の教えを見るといつも私は思うのですが、仏教という宗教は、まるで病院のような存在です。仏教は「心の病院」なのです。」(佐々木閑『NHK100分de名著・…

【参考資料】仏道修行は人格を保障しない

(1)秋月龍珉『公案』「良き師は求めて得られるものでもない。しかしまた求めなくてはけっして得られない。「しからば真師は如何にして見つけるか。それには師たるべき人の私生活を観察するのが捷径(はやみち)であろう。言行一致するや否や、常識的に見…

自利と利他の一致

「ただ、誰かを守りたい、人を愛したいという気持ちが宙づりになってしまいました。それには手っ取り早いのが自分で子どもを作ることです。現在の妻とはその当時すでに交際していて、そんな話をすると、子どもを作って出来婚しようという話になりました。木…

【参考資料】すべては解釈

(1)原田祖岳『白隠禅師坐禅讃講話』108~109頁 「闘争も不幸もすべて心の持ちよう=解釈=一つ、同じ事実も見ように依って蓮華にもなれば汚物ともなる。嬉しくもなり悲しくもなる。好きにもなり嫌いにもなる。黄金にもなれば糞土にもなる。すべてこ…

「苦しい修行」

「苦しい修行」も悪くはありません。 ただ、やる人間としては、平均的な人なら、苦しいと思うような状況を楽しむべきです。 避けられない苦しみを処理しやすくなる=楽しめるようになることが、禅の実践の大きな楽しみの一つです。 苦しみも、楽しみも解釈の…

求めることをやめる。

不幸の始まりは幸福を求めすぎることにあるのだと気づく。 ほかの人を蹴落として、その上に立とうとすることに不幸があるのだと気づく。 求めるこの心が不幸の原因であることに気づく。 幸福を実現しようとする求めるこの心が不幸の原因であることに気づく。…

大往生を目指すから苦しくなる

高齢化に伴って、週刊誌で「終活」が特集として組まれることが多くなりました。 いずれ来るものであり、来たときには、まあ大騒ぎになるのだから、今のうちから準備をするというか、覚悟をしておくのは良いことかと思う。 人生に対する悩みというのは、つま…

「私」とは「何」か?

禅では「直指人心」とよく言われます。 罪作りな言葉であると思います。 それは価値ある作業になり得るのだけれども、おそらく不毛な作業になるものと思われるからです。 よく禅の実践をすると「本当の自分を知ることができる」などと言われます。 公案でも…

欲望あってこそ人間

ネットサーフィンをしていたら、「ひきこもり」に関する次ような記事を見つけました。 「専門家座談会【前編】ひきこもり、うつ…「働けない」子どもを、親はどう見守る?」 (https://fujinkoron.jp/articles/-/340) 斎藤環、雨宮処凛、工藤啓の対談です。 …

本当の利他行為

禅の講演会での講師の方のお話。「大乗仏教は究極的には利他を説くものです。どういう人なら本当に人のためになれるか?そのためには、「空」を体得すること。自我を空じていなければ、他人のことをあるがままに写し取ることができない。『空』を体得するた…

坐禅において呼吸回数を減らすべき科学的根拠

坐禅のときには、呼吸回数を減らす、すなわち、呼吸を長く、ゆっくりとすることが推奨されることが多いですが、このことは、科学的にも正しいようです。 坐禅等の瞑想をすると脳の「扁桃体」の活動が低下することがわかっています。 扁桃体の機能は、次のよ…