坐禅普及

主旨は慈悲。行は坐禅。

緩やかな「空」の捉え方

 仏教に出てくる「空」の概念については、いくつかの捉え方があり、一番流布しているものは、中観派の空観でしょう。

 
「〈空〉というものは無や断滅ではなくて、肯定と否定、有と無、常住と断滅というような二つのものの対立を離れたものである。したがって空とは、あらゆる事物の依存関係(relationlity)にほかならない。」

中村元『龍樹』17頁)

 
 世界とは、パソコンの液晶画面に映っている画像のようなものであり、実体はないけれども、あらゆるものがそこに現れ出ている。

 パソコンの液晶画面は、全く一つのものなのですが、その画面に映っているものは、どういうわけか、それぞれが独立した意味を持つものとして捉えられる。

 それらは、実体が「無」いはずなのに、明らかに「有」り、有無を超越している。

 それらは、全体が一つであるはずなのに、それぞれがわかれてあるように感じられ、不異不一である。

 パソコンの画面の内容は変わっていき、それは清いもの、汚いものあらゆるものを映すが、いつまでも、パソコンの画面はパソコンの画面であり、画面の内容が変わっても、不増不減、不垢不浄。


 ただ、こういう形而上学的なことは、仏道の本筋ではなない感じがして、気を付けなくてはいけないのかなと思います。


 坐禅等の禅の修行は、このような「空」、すなわち、不異不一の体認(=見性)を目的とするものとされますが、もっと緩やかな「空」の理解の方が私の実感には当てはまるような気もします。

 まあ、真の意味で見性などしていないことを白状するものではありますが。


 只管打坐をして、扁桃体の活動が低下すると、せかせか、せわしい心が落ち着いてきて、いろいろなことが気になっていた心に余裕ができる感じがします。

 心に余裕ができると、せかせか、いらいらしていたときには、気づかなかったことに気づいたり、ほかの人にやさしくしたりすることがしやすくなったりします。

 心に「空間ができる」感じがするのです。


よく「坐禅によって自己を空ずる」などと言う人もいます。

どこか厳めしく、無理をしていて、何よりスピリチュアルな感じがして、色々誤解が生じそうな言い方なので、私の実感には合いません。

「心に空間=余裕を作る」という言い方の方が地に足がついた感じで、好ましく思っています。

 
 こんな言い方は、坐禅や瞑想の本などには余り出てこない表現ですが、わかり易い坐禅の効果の表現の仕方なのではないかと思っています。

 そんなことを思っていたら、坐禅などとは全く関係ないと思われる

 ストーカー加害者の更生

をテーマにした座談会の記事の中で、同じような指摘がされているのを発見して、少しうれしくなりました。


 まず、ストーカー加害者の特性についてですが


「ストーカーもそうですが、彼らは欲求が強すぎるところがあり、その欲求を抑え込むと禁断症状みたいなものまで出てきます。そうなると、幾らでも欲求を正当化し、言い分を作り出し、したがって思考も歪む。」

小早川明子発言・同人ほか「対談 加害者臨床と更生」『家庭の法と裁判 2019年10月号』13頁)


という指摘がされているところは、「ストーカーもそうですが」という部分を除くと、仏道に興味を持つ人一般に通じるようなところもあって興味深いものがありました。


 その上で、ストーカー加害者の更生が成果を出した例に関して


「治療を完了した人はほぼ全員が接近欲求が消えるか低減し、脳に空き容量ができるので、復職など社会復帰をしています。」

小早川明子発言・同人ほか「対談 加害者臨床と更生」『家庭の法と裁判 2019年10月号』17頁)


 「脳に空き容量ができる」というところに、どこか親近性を感じました。


 その少し前には、ストーカー加害者に対する心理的なアプローチとして


「カウンセリングは対話により過去と未来を現実に即して評価できるようにするものですが、セラピーとはイメージを使って今、現在の感覚を体験し心的変容を起こすものです。」

小早川明子発言・同人ほか「対談 加害者臨床と更生」『家庭の法と裁判 2019年10月号』15頁)

などという話が出ていて、「過去と未来を現実に即して評価」とか「今、現在の感覚を体験」などという言葉を見ると、「現在」に焦点を合わせようとするマインドフルネス的発想と近しいものを感じました。


「ストーカーの疾患は何かというと、「行動制御能力の障害」です。(略)世界を見渡しても確たる治療方法は見当たらないと言ってもよく、ほとんどが認知行動療法を主としています。」

小早川明子発言・同人ほか「対談 加害者臨床と更生」『家庭の法と裁判 2019年10月号』16頁)


というような記述を見ると、仏教的な瞑想には、認知行動療法と同程度の効果が期待できるものとされていますから、坐禅等の仏教的な瞑想がストーカー加害者の更生に有用であるようにも思います。

 
 そんなことを考えて、ネットを少し検索したら、犯罪者の更生にマインドフルネスを活かし得るという学術的な論文が相当数あることがわかりました。


「犯罪者・非行少年に対する処遇の効果を高めるために必要なことは、指導を自己の人格批判として受け止めたり、加害行為を内的・安定的・普遍的な原因に帰属させたりしないように、自己に関する情報を正しく認識し、自己の良い部分と悪い部分を客観的に捉え、平等に受け止める力、すなわち、メタ認知能力を高めることなのである。
(略)
 メタ認知を向上させる技法として、近年欧米を中心に注目が集まりつつあるものは、第三世代認知行動療法である。第三世代認知行動療法には、マインドフルネスストレス低減法(略)など様々な技法があり、いずれもマインドフルネスとアクセプタンスという共通の治療要素を含んでいる。」

(大江由香・亀田公子「犯罪者・非行少年の処遇におけるメタ認知の重要性」『教育心理学研究 2015年63号』471~472頁)


 坐禅などにより、心に余裕を持つことを通して、優しく、慈しみのある行動をとる人が増えるようになればよいなと思います。
 


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