坐禅普及

主旨は慈悲。行は坐禅。

2020-02-01から1ヶ月間の記事一覧

慈悲の行じ方

「最後に軽く触れたいのは、私が好んで日本の仏教徒の『悪い癖』と言うことです。正直に言って、私はそれを聞くたびに、少し憤慨します。すなわち、利他の話をするときに日本の仏教徒が、ほとんど例外なしに、利他を教化と同一視するということです。そうす…

あるかどうかわからないことは、ないものとして行動するしかない

「ゴーダマ・ブッダによると、当時の思想界で行われていた種々の哲学説、宗教説は、いずれも相対的、一方的であり、結局解決し得ない形而上学的問題について論争を行っているために、確執に陥り、真理を見失っているのです。(略)イエスともノーとも答えな…

煩悩即菩提

「本来の仏教では、『愛』という語は、いつも『憎』とウラハラの意味をもつ語として用いられ、あまりよい意味では使われなかった。『愛』は常に、その裏に『憎しみ』を秘めているものとして、仏教では否定的に見られてきた。そのよい例が、釈尊の『四諦』の…

直指人心、見性成仏

「青年は老師の目をまっすぐに見つめて、重ねて尋ねた。 『僕とは何ですか』 老師は、そこで言われた。 『君は今日ただ今から自分のことを勘定に入れないで、他人のために一所懸命に働いてみよ。そうして、他人のために働いた結果、自分が『よかった、幸せだ…

不確かな世界を愛している

「(形而上学的な問題について)釈尊は答えられないときには、沈黙を守る。そしてその沈黙に対する執拗な追及があり、まれに釈尊は適切な比喩を、相手または弟子に示す。(略) 『(略)世界の常・無常などをいつまでも求める人は、解答の得られないあいだに…

【参考資料】“現に存在する”苦しみには問題がない

「明治から昭和にかけて約半世紀近く建長寺派の管長をつとめた菅原時保(じほう)老師は『日面仏,月面仏,訳すれば,”ああ死にともない,死にともない”』と提唱されている。 近代の傑物であった飯田欓隠老師は,痔の手術をして,「痛い痛い。何にも無いとい…

一切皆苦の理由

荒野に立っている。何かよいものがないかと、素手で周りの土を掘り返すが何も出てこない。 掘っても、掘っても、探しても、探しても何も出てこない。疲れて、爪に挟まった土を見る。また、何かよいものがないかと土を掘り返す。やはり、何も出てこない。得よ…

在家修行の問題性

1 仏道修行は利己主義を懐疑する「人生というものは元来我儘なものです。つまり人間の行動は全て利己主義的なものです。つまり人間の行動の全ては利己主義的なものです。人間はそれぞれ自分の理想を持っていますが、その理想の正体も結局のところ自己満足の…

「輪廻」という「真理」?=上座仏教の神秘主義的性格

坐禅を始めてから、落ちつけるようになると同時に、積極的に物事に対処できるようになるなど、日常が手堅くよくなってきたことから、坐禅を行とする禅や仏教について学んだり、実践する中で、上座仏教に興味を持ち、上座仏教の勉強会にも行くようになりまし…