坐禅普及

主旨は慈悲。行は坐禅。

2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧

「衆生本来佛也」なら、なぜ、禅の修行をするのか?

「以前、私が禅を修行しなくては、佛道の真実はわからないとだけ説いていた頃、郷里へ帰り親戚や友達の親しい人々をまじえた聴衆を相手に、説教をしましたら、年老いた従兄が、佛道のありがたいことはわかったが、私等にはそうした修行はとてもできない。本…

脳生理学的観点から見た坐禅と禅的人格との矛盾

「新聞記者をやっていたころ、職業上の必要から禅宗の坊さんにずいぶんと会いましたけれども、何人かをのぞき≪これは並以上に悪い人間じゃないか≫と思うことが多かったです。」(司馬遼太郎『日本人を考える 司馬遼太郎対談集』65頁) 禅は禅的人格を有する…

問わない態度

仏道の教義やその特有な実践は、応病与薬の方便であり、その時その場その人限りの親切にすぎません。とはいえ、語る言葉に一種の普遍性があるように見えなければ、接得はできませんから、発せられた言葉は、その時その場その人限りを超えて普遍性があるよう…

初心

「私が理解する仏教は『無条件に真理のようなものを提出することはできない』ということが根本にあります。だから『真理』とか『悟り』ということを無防備にいう人は信用できないんですよ。」 (南直哉発言。南直哉・島田裕巳「南直哉 坊主も知らない仏教の…