坐禅普及

主旨は慈悲。行は坐禅。

2019-07-01から1ヶ月間の記事一覧

【参考資料】仏教者の戦争責任

参考資料「仏教者の戦争責任」 A 「日本の仏教徒は、戦争中ほとんどが戦争に反対できず、逆に戦争に協力してきた。本師山田無文老師は、深くそのことを反省懺悔されていた。『師匠の関精拙老師の尻にくっついて、『兵隊さん、お国のために死んでください。…

見性体験などの特殊な体験を求めない(その2)

私が見性体験等の特殊な体験を求めるべきではないと考える主だった理由は次の3つです。 第1に、坐禅などの瞑想は、脳の特に前頭葉の機能を低下させるものであり、見性体験などの「特殊な体験」は、この機能を著しく低下させるものであって、そのようなこと…

見性体験などの特殊な体験を求めない(その1)

坐禅等の仏教の瞑想に興味を持つようになってから、特異な体験を持つ人と接することが少なからずある。 たとえば、自己と世界とが一体となる感覚、光に包まれる感覚、自分の中に何かすごいものが「ドーン」とある感覚など様々だ。 一番多いのが、自己と世界…

生きることは不幸を引き受けること

自動車は運転を開始しなければ、事故を起こさない。 パソコンは起動させなければ、クラッシュしないし、ウィルスに犯されることもない。 だから、問題を避けるためには、自動車もパソコンも使わないのが正しい使い方だということになるはずだ。 人生もなにも…

参考資料「禅者の述べる人生の価値」

1 前田利鎌『臨済・荘子』238頁 ‘ 長く貴族生活に耽溺していたトルストイは、中年に及んで人生の意義を懐疑し始めて虚無思想の結果いく度か自殺しようとしたそうである。ところが或る時彼は突如として一の真理に契当した――人間は生を欲するのが順当であ…

「苦」を必死になって解消する必要のない理由

仏教は、何らかの形で「苦」への対処を目指すものだけれど、本当に、それを徹底的になくす必要があるのかは立ち止まって考えてもよいように思う。 仏教における「苦」は、「苦痛」というよりも、「むなしさ」、「ものたりなさ」をいうニュアンスが強いとされ…

結果の出せない禅の修行は無価値ではないのか?

禅の修行が、愛し、働くことができるようにするためのものであることからすると、「禅の修行」と「愛し、働くこと」とでは、後者の方が重要であるはずです。 前者は手段であり、後者は目的なのですから、手段と目的とでは目的の方が重要であることに決まって…

無明の必要性

鈴木大拙の『禅学入門』を読み返していたら、次のような記述を発見して、勇気付けられました。 やはり、我が禅海波瀾洪大、嫌う底の法なく、著するの底の法なし、驢を通し、馬を通す必要がある。 重要なことは、否定ではなく、自然と限定していくこと。”禅が…

悩み、苦しみ、迷うことは人間の特権

仏教では、悩み、苦しみ、迷いへの対処が課題とされます。 ここで重要なことは、課題は、「悩み、苦しみ、迷い」に対する「対処」であって、これらを無くすことではない、ということです。 私たちは、どうでもよいことに対し、「悩み、苦しみ、迷い」を抱く…

(坐)禅の効果の測定方法

(坐)禅の効果については語ろうとしない人が多い。 不遜はよくないであろし、また、どうも語ることができるような効果は本当の効果ではないと思っている人も多いようだ。 効果に本当も嘘もないと思うし、仮に、プラシーボ効果であるとしても、効果は効果で…

心理カウンセリングにおける仏教に類似する考え方その2

5 サイコドラマ(心理劇)(96頁) 日常の場面で生じた心理的な問題を、集団で役割演技を行うことによって解決する技法。 決まった筋書きや配役があるわけではない。 即興劇で、「今、ここで」生じたテーマの状況に基づく役割を演じる。 参加者個人の自発…

心理カウンセリングにおける仏教に類似する考え方その1

ほかの人の悩みが解消できるようになりたいと考えて、心理学の勉強をしようと考え、松原達哉編著『図解雑学 心理カウンセリング』をネット古書店で購入したところ、仏教的な考え方と思えるものがありました。 佛陀自身が、人間の心理について考え、その悩み…

参考資料:安心ではないものを安心とする

仏教の目的の一つは、安心立命です。 “古来の常套の語(ことば)を以っていえば、安心を得るのが仏教の目的である。(略)安心とは、心を一定不動の處に安住せしむるの意で、謂ゆる宗教の力に依って、不動の信念を確立するということである。古来禅門で悟った…

実社会生活で結果を出す

禅の実践と結果との問題は容易ではない。 専ら禅の実践として行われること、すなわち、座禅は余りに不自然なことであって、それは明らかに狙いを持って行われるはずのことだ。 同時にそれは、結果を求めないものとして、行わざるを得ない。 この矛盾こそが教…

悩みながら少しずつよくしていくことについての補足

最近のテーマは、悩み、反省しながら少しずつ成長していくことなのだけれども、久しぶりに、鈴木俊隆『禅マインド ビギナーズ・マインド』を見返したら、同じ趣旨の記述が見つかりました。 「道元禅師は『將錯就錯』(しょう・しゃく・じゅ・しゃく)といわ…

【参考資料】煩悩即菩提

(1)釈宗演『坐禅和讃講話』「衆生其のまま佛陀、佛陀其の儘衆生ぢゃというので、迷即悟、悟即迷というので、生死即涅槃、涅槃即生死という味である。『般若経』の色即是空、空即是色と全く同じぢゃ。色法の当体其の儘空となり、真空其の儘山川国土の色相…

参考資料:禅の目的=衆生済度

(1)釈宗演『最後の一喝』 60頁 曹洞宗の開祖道元禅師の歌に 愚かなるわれは佛にならずとも 衆生度する僧の身なれば とある通り、利他の本願は仏教徒の等しく目的とする所であり、又実に尊い所以である。 もしそれ諸仏頂上の禅に至りては、小我は大我に…

素直に悩む

【素直に悩む】 ある人の相談を受けた。 その人は、アーティストを目指していて、個性的であろうとする一方、周囲との関係をぎすぎすさせてしまうのが嫌なので悩んでいるのだという。 悩みの内容自体は、ありがちな自己と他者との関係性の問題。 普通であれ…

禅が利他行為に行き着く理由

禅の実践を続けていると自然と利他行為に至る理由は色々あるように思う。 正直、私の場合は、自然とそのような衝動が生じたとしか言いようがない。元々それは、あったのだけれども、坐禅をしているうちに、はっきりと確信を持てるようになった。以前は、頭で…

【参考資料】禅の他力性

(1)秋月龍珉『誤解された仏教』「禅者が、みずから禅を『自力』と称するのは、私は禅者の誤りであると思う。『自力』の宗教などというものが、あるはずはない。真の宗教は、どこかで自我を否定するものでなければならない。釈尊の仏教は、はっきり『自我…

信じる力

元々「信じる」ということには警戒心強くありました。十代から二十代の初めにかけて、オウム真理教事件や法の華三法経事件などの新宗教、新々宗教の団体の起こす事件に報道を通して接したり、高校生の頃、同級生が日蓮正宗顕証会にはまり込み、近くの駅の公…

座禅中の雑念の放置に関する参考資料

(1)飯田欓隠『通俗禅学読本』 33頁 若しも坐禅中色々のこと思い起すことありとも、それはそれに任せて、只そのものそれに純一になればそれでよい。皆坐禅中の出来ごとであるから、坐(34頁)禅の分布である。この事南堂静禅師が委曲論及しておる。坐…

【参考資料】禅の日常性

1 鈴木大拙『禅仏教入門』 「神秘化などといったものは、およそ禅そのものの目的とはかけ離れたものであるのだが、生の根本事実に触れたこのない者にとっては、禅はどうしても神秘的としか映じないのである。」(8頁)「仏教は(略)超自然的な力を認めな…

参考資料「禅と向上」

【参考資料:禅と向上】 (1)釈宗演『快人快馬』184頁~186頁 「仏教では常に煩悩を排斥して悟を求めるという様なことを申すが、之を現実的に言って見ると、唯々古いものを捨て新しいものを取るという程のことで、(略)新陳代謝する、即ち我々が茲に…