【参考資料】現象に徹し、現象の要因、背景を妄想しない
禅が不立文字というのは要するにこういうこと。
一言でいえば……
「禅そのものの説明ということはあり得ない。禅そのものはないからである。」
(上田閑照『禅仏教』3頁)
この後には、「あるいは、『風が吹く』ーーそれが禅であり、『腹が痛い』ーーそれが禅だからである。」と続きます。
ある程度つかんでいる人には、好い例示ですけれど、却って難しくする人がいるような感じもします。
親切に言うと……
「黒いものを黒いといい、白いものを白いと云うのが禅の本領である。柳は緑り、花は紅い、烏はかあかあ、雀はちうちう、みんな同じ道理である。此の道理に徹底した人を悟ったと称して居る。
禅はどこまでも説明のできぬものである。何等の前提なしに、すべてを断定する。それ自からが其れ自身を証明する、決して他の弁証を待たない。天は天なり、地は地なり、それで万事を尽しておる。此処を言詮不及とも、意路不到とも云う。
私どもは何の為に生れたか、何故死ぬるか、這んなことは問題にならぬ。何の為でも、何故でもない。生れたから生きておる、死ぬから死ぬるのである。それ以上何と理屈をつけても詮無いことである。生を生とさとり、死を死とさとれば、それでよろしい。人生のすべては斯くして解決されるのである。」
(神保如天『従容録講話』序)
神保老師は感動の名文句!
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