坐禅普及

主旨は慈悲。行は坐禅。

2020-03-01から1ヶ月間の記事一覧

【参考資料】坐禅修行の非本質性

先日、臨済宗系の勉強会に参加したところ、久参の方から、坐禅をしなくても、見性することはあるのかといった質問が講師の方に対してされる場面を目にしました。そもそも見性やら悟りやらにこだわるのもどうかと思うのですが、見性や悟りという観点からも、…

禅=現実=大拙の“something”

「禅は、五官のはたらきも知的作用も道徳も無視しない。美しいものは美しく、善いものは善く、真なるものは真である。禅は、われわれが眼前の事物を評価するために普通下す判断に反対はしない。禅を形成するものは、これらの判断の一切に、更に禅が附け加へ…

隠山派と卓州派との室内の相違

「白隠の会下に四十余人の豪傑があったが、其中(そのうち)東嶺(とうれい)遂翁(すいおう)の二師が其(その)上足(じょうそく)であった。(略)遂翁の法嗣(ほっす)は、(略)春叢(しゅんそう)と云うので断絶してしまった。所が東嶺和尚の方脈は益…

釈宗演老師の見ていたもの

「わたしは宗演老師について一週間ばかりで見性(最初の公案が透ること)したですね。(略)入室(師匠の室に入って問答すること)すれば、公案はどんどん透る。それはゆるいもので、坐禅などは短いほうがいいと言って、三年ぐらいでどんどん上げてしまって…