坐禅普及

主旨は慈悲。行は坐禅。

生まれてきた理由

「人間は誰かを愛するために生まれてきたのです。誰も愛さないで死んでいくことは、せっかく生きてきたのに惜しいことだと思います。
 もちろん、愛したらいろんな苦しみがともないます。けれどもその苦しみを味わわないと、人間の真のやさしさとか想像力とか、本来的に人間に備わっている素晴らしい力が表に出てこないのではないでしょうか。」

 ネットサーフィンをしていたら出会った瀬戸内寂聴さんの言葉。
https://dot.asahi.com/dot/2019122400048.html?page=2

 凡庸といえば凡庸だけれど、人により味わいの有無があるのは面白い。。
  
「物に対して誰が命令するか分からないが、自然に同情の心が起る。此心が即ち慈悲であります。(略)種々(いろいろ)の宗教があると雖も、世に臨む所以は皆一つである。(略)真理は古も今も変って居ない。東でも西でも異って居らぬと云うのは、吾々が頼みとする所であります。之れを仏教より言えば、佛心とは大慈悲是れなりで、結局此の大慈悲に外ならぬのであります。又基督教で言っても、同じこと、愛と言い、loveと云い、God is Love:Love is Godと云う、皆是れであります。」
(釈宗演「禅学大衆講話」『釈宗演全集第一巻』322~323頁 注1)

 とはいえ、元の記事のタイトルが、「『不倫でもいい』から恋愛すべき」というものなので、それはちがうだろうとうがった向きもあるかもしれません。
 しかし、次の鈴木大拙先生の言葉からすると、やはり味わい深いと思うのです。

「禅は、要するに、自己の存在の本性を見ぬく術であって、それは束縛からの自由への道を指し示す。(略)それはわれわれの心に生まれつきそなわっている想像と慈悲の衝動を、すべて思うままに働かせることである。一般に、われわれはこの事実、すなわち、われわれは自分を幸福にし、たがいに愛し合って生きて行くのに、必要な機能をことごとくそなえているのだという事実に、気がつかないでいる。」
鈴木大拙『禅』41~42頁)

「生まれつきそなわっている想像と慈悲の衝動」と「人間の真のやさしさとか想像力とか、本来的に人間に備わっている素晴らしい力」との対応関係を考えると、また味わい深い。


(注1)「誰が命令するか分からないが」というところもよいですね。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ
にほんブログ村

参考になる点がありましたら、クリックをしていただければ幸いです。