坐禅普及

主旨は慈悲。行は坐禅。

【参考資料】禅における『教義の否定』

梁の武帝達磨大師に問う、「如何なるか是れ聖諦第一義?」
磨云く、「廓然無聖
帝曰く、「朕に対する者は誰ぞ?」
磨云く、「不識」
――碧巌録第一則



禅は、多様な運動であり、それを統一的な観点から説明することには無理がありますが、私は、「教義の否定」という潮流を支持しています。

「人間の認識能力には限界があり、何が正しい教義なのかわからないから、無いものとして生きるしかない」からです。



禅における「教義の否定」については、臨済録等では、「概念の人為性=虚構性」から導き出していますが、そもそも人間の認識能力の限界から導き出されてしまうことがより根源的であると思います。

達磨伝に出て来る『廓然無聖』や『不識』はこの文脈で理解するのが適当だと勝手に思っています(公案の理解の仕方としては一般的には間違いでしょう)。



禅では、自由や日常への回帰が強調されますが、それらは、「教義の否定」の反射といえます。

「何にもない指で指された、何もない月は、その何もないところから照りわたる」(鈴木大拙『日本的霊性』360頁)

大拙先生の趣旨は、このようなところにはないとは思うのですが、ぴったりに思います。

禁止的規範を含む教義が否定される結果、人間のあらゆる生き方が肯定される。



このような観点に立つと、「教義」は、「何か正しいもの」が欲しい人などのための善意の虚構(親切)ということになります。

もちろん、このような「教義の否定」自体が「教義」になり得るものであり、「不立文字」とはよく言ったものと思います。

力のある禅匠の中にも同じような捉え方をしている方が少なくないものと感じます。

それは馬祖~臨済の法系に特に目立ちますが、臨済宗では、菅原時保老師や朝比奈宗源老師、曹洞宗では、酒井得元老師に感じます。

鈴木大拙先生については、正直微妙に思います。



「教義の否定」と言っても、大してすごい話ではなく、私たちの圧倒的多数は、特別な教義など全くおかまいなしに一瞬一瞬判断して行動している、その当たり前の在り方です。

私たちは特別な教義がなくても生きていくことができる。

日本文化には仏教の影響があるなどと言いますが、日本人の大多数が仏教を理解してその通りに生きてきたことはなく、圧倒的多数の日本人は、冠婚葬祭の演出の場面等を除き、昔から仏教とは関係なしにきちんと生きてきたのです。

『大きな都会によっては真宗でも禅宗でも真言宗でも何でも自由自在に御弔いをやってくれる職業の人があるということであるが、まずこんな風で、多数の日本人は宗教に無関心な状態である』

鈴木大拙『日本的霊性』90~91頁)

日本的霊性は、1944年に出版されたものですが、80年近く前の皇道仏教や皇道禅が流布されていた時代であっても、大多数の日本人は仏教とは関係なしに生きてきたのです。

むしろ、伝統的仏教教団の指導者を含めた仏教者のほとんどは、かつて、皇道仏教や皇道禅といわれるように、戦争で相手を殺戮することもその相手に対する慈悲の行為などと主張していました。

このような教義を唱えていたことについては、時局からやむを得なかったなどと言われますが、このことは、仏教の教義には、その時々の政治情勢等の社会的状況によって変わっていく不安定さがあることを示します。



「こうしておけば間違いない」という正しい教えを欲する人もおり、特定の教義やそれを踏まえた実践を正しいものとして教導することも親切かとは思います。

しかし、一時期在家禅団体で活動したり、テーラワーダの実践にはまり込んだ人たちと付き合った経験などからすると、狂信的になってしまう人も相当数おり、このような教導が果たして望ましいかは疑問に思っています。

仏教で示されるものの中には使えるアイディアもありますが、様々なアイディアの源泉の一つとして付き合っていくことが健全ではないかと思います。



1 朝比奈宗源『佛心』

『以前、私が禅を修行しなくては、佛道の真実はわからないとだけ説いていた頃、郷里へ帰り親戚や友達の親しい人々をまじえた聴衆を相手に、説教をしましたら、年老いた従兄が、佛道のありがたいことはわかったが、私等にはそうした修行はとてもできない。本当のことはわからずに死ぬのかな、となげきました。私はこれが淋しくもあり、悲しくもありました。後に私はいま説くように、修行しなくても、本来佛心の中にいるのだから、死後も絶対安心してよいと、はっきり言い切る信念に達しました』(39~40頁)



2 有馬賴底『『臨済録』を読む』

『最後の方で解るんですが、実は「公案」なんてどうでもよかった。臨済禅師も言ってますね

「わしの教えに従ったらあかんぞ」

と。師匠の言うことに従わんでもいいんです。その前に全部剥ぎ取られている。空っぽになっている。その全否定こそが大事なんです。最後は全部、受け入れてくれる。「公案」の正解が出ようと出まいと、間違っていようと、そんなことはどうでもいいことなんです
その「どうでもいい」という所までゆかないといけない』(24頁)

『「仏教」の経典を解読して仏教を理解しようなどと思わなくていいんです。『臨済録』を読んで、その一語一語、一文一文を解釈しようなどとしなくていいんです。

 私は問われれば答えます。しかしその答にあなたが拘泥する必要はない。「問」と「答」の間に漂うもの、気配のようなものに気付いてくれたらそれでいいのです』(30頁)

『座主有り、問う、三乗十二分教は、豈に是れ仏性を明かすにあらざらんや。師云く、荒草(とうそう)曾(か)て鋤かず。(「上堂」)

(座主が問うた、「三乗教や十二分教などの仏の教えの一切は、すべて仏性を解き明かすものではありませんか。」師「そのような道具では無明の荒草は鋤き返されはせぬ。」)(略)

仏教ということ自体が既に“こだわり”なんです。経典に縛られていたらあかん。もっと自由にあなたの自然の姿で人々に接したらいいと、臨済は言うのです』(110~112頁)

『あらゆる経典、あらゆる説法、みんなどんなに素晴らしくても、「病を治した薬みたいなもの」、つまり、病が治ったらもう薬はいらんよ。薬なんてなんの役にも立たんよ。一時の病は治すかも知らんが、すべての病を治す薬なぞない。病を治したという真似事をしとるだけや、と。これも例え話。仏さんの言うことをいろいろまともに受け取ったらいかんと。そしてまた同じことを言いますね。

仏教そのものが偽物やと。坊さんも文字を並べて偉そうなことを言ってるだけや。じゃあ、どうすればよいのか。(略)

「仏を求めれば仏を失い、道を求めれば道を失い、祖を求めれば祖を失う」。「求めて派いけない」ということは、坊さんの説法を聞いてもアカン。いや聞いたらアカン。あんなんウソ八百。「求めたら」全部失う。結局自分に自信がないから、他人に相談し、外に求めて、それで“自分”を失う。自由を失う』(170~171頁)

『仏を求め法を求むるは、即ち是れ造地獄の業
菩薩を求むるも亦た是れ造業
看経看教も亦た是れ造業
仏と祖師とは是れ無事の人なり
臨済録『示衆』)

(略)

有馬 (略)「地獄」は自分で造っているんです。悟れない者が仏に頼り、経典に頼り……
そうするとどんどん地獄に落ちていくよ、ということです。
地獄というのは煩悩の凝り固まった世界。「煩悩即菩提」――煩悩を裏返しにしたら菩提なんです。菩提っていうのは悟りの境地。それが実は煩悩と同じもんやと言うてる。だから、それを求めたらアカン、というただそれだけの話です。

――禅とは修行して「悟り」を求めるものではないのでしょうか。それなのに、菩薩を求めても、仏典を読んでも「地獄」から逃れることは出来ない、というのですか。

有馬 いや、そうではなくて、その行為自体が「造地獄」やと言うとるんです。書いてある通りです。仏を求めること、法を求めること、これが「造地獄」の業と。

――祖師を頼ったり、仏法に帰依することが「地獄」へ落ちるということなのですか。

有馬 そうです。

――では、どうしたら私たちは、その己が造る「日常の地獄」から逃れられるのですか。

有馬 何もせんことや。「仏と祖師は是れ無事の人なり」と書いてある。「無事の人」とは何事もしない人。つまり「求めるな」です。求めたらアカン。求めれば求めるほど地獄へ落ちる』(189~190頁)

『――『臨済録』の中に「生きるための」“答”があるのでしょうか。(略)

有馬 そうそう。『臨済録』の中で、修行者が質問するでしょ。何かを言おうとすると、バーンとどつかれる。なんでどつくかと言うとね、その質問が合っているとか間違っているという問題じゃない。質問を出すこと自体を打ち砕く。だからバーンと叩く』(220頁)



3 小川隆『中国禅宗史』

『禅の性格は矛盾に満ちている。謹厳と洒脱、沈黙と哄笑、容赦なき聖性の否定と大らかな現実肯定……「禅」とは、と、定義しようとしたとたん、それと相反する表現が禅籍の中から次々と出てきてしまう。矛盾する両極の緊張の上にこそ、無定形の禅の生命が活きて活動しているのだと言ってもよい。(略)絶対の『真理』に緊縛されない、それこそがいにしえの禅僧たちのめざすあり方であった』(24~25)

『道には修めるような姿形はなく、法にも悟るべき姿形はない。ただ「閑」であって、過去も思わず明日にも思わず、「一切時中総て是れ道なり」――あらゆる時がすべて道なのである、と。唐代禅における激烈な聖性否定・偶像破壊の精神は、そのまま他愛もないような日常性の即時的肯定と表裏一体となっていたのであった』(59頁)

『弟子の雪峰(八二二―九〇八)から「従上の宗風は何の法を以ってか人に示す」と問われた際、徳山は、きっぱり、こう答えている。

――我が宗に語句無く、実に一法の人に与うる無し。

 私のところには、人に授けるべき言句など存在しない。人に与えるような宗風など、もともと有りはしないのだ、と』(101頁)

『無業はいう、「三乗の学問は、おおむね究めました。しかし、禅門で説かれる“即心是仏”、その意が未だ了(わか)りませぬ」。馬祖はこたえる、「只(まさ)しく未だ了ぜざる底の心こそ即ち是れなり、更に別物無し」――いま現に「了らぬ」というその心、それこそがまさに仏である。それを置いて外にない、と』(204頁)



2 小川隆「破家散宅の書 ――“Seeeing through Zen”日本語版解説」――」ジョン・R・マクレ―『虚構ゆえの真実 新中国禅宗史』

『禅には「破家散宅(はけさんたく)」という成語がある。自ら大切に守るべきものであり、また、逆に、自らを守ってくれるものである家宅。それをすっかりご破算にしてしまうということで、あらゆる既成の見解を捨て去り、何ものにも依拠しない、という喩えである』((1)頁)



4 衣川賢次「臨済義玄禅師の禅思想」『禅研究所紀要第34号』

『諸君よ!きみのところでは「修すべき道があり、悟るべき法がある」と言っている。では訊くが、いったい何の法を悟り、何の道を修するのか?いまこうして活動しているきみたちに、いったい何が缺けているというのか?どこを修理して繕おうというのか?新米の坊主どもはこのことがわからず、ああいった狐ツキの輩が説法して人をしばりつけ、「教えられた教理どおりに自ら修行し、心口意の三業の清浄を大切に守って、初めて成佛できる」などと言うのに丸め込まれている。(略)

 古人は言う、「道を修している人に出逢ったら、けっして話しかけてはならぬ」と。(略)また古人は言う、「平常の心が道である」と』(115~116)

臨済録

『人は聖なるものへのやみがたい希求があるが、それの持つ魅力は必然的に人を虜にし屈服させる魔力を持ち、元来そなえていた人を浄化させる力が却って人の自由を束縛するものへと転化する。臨済はこれを「仏魔」と呼んだのである』(123頁)



5 酒井得元『永平広録について』

『禅の真実は思想ではないということです。昔、私が沢木興道老師に会った、その時、老師から再三再四、思想じゃない、思想じゃないと言われた時、若い私は抵抗を感じたものです。道元禅師が思想家でないのかと抵抗を感じたものです』(5頁)

『宇宙の全てが仏性、即ち真実です。故にこれこそはという特別であるものは、全てあってはならぬことです。こうしてみると、全てが仏性であり真実であってみれば、特に外道というものがあるわけではないのです。あの外道というのは一切衆生悉有仏性に背を向けて、即ち広い宇宙に背を向けて、小さな自分だけの家の中にとじ籠っているものです。したがって思想家は殆どが広い宇宙に見向きもしないで、小さな自分だけの家にとじ籠っているから外道だったのです。しかし仏法の方からは外道も一切衆生ということになって、外道というものはありません。
 
かくて全てが真実であって、真実以外の何物もあり得なかったのです。この事実が心ということであったのです。したがって心は決して精神的なものでも、意識的なものでもなかったのです。つまり、この宇宙全体の真実が心であったのです』(23頁)



6 菅原時保『碧巖録講演其一』

『「分けのぼる麓の道の多ければ

登らぬ先に日は暮れにけり」

道の善悪、――道の高低、――道の遠近、――道の安危なぞを選択して居る中に日は暮れますぞ、人生五十の命は尽きますぞ』(39頁)



7 菅原時保『碧巌録講演(其三)』

『平常心、是道。――お互が毎日毎日至誠の心を以て喫茶喫飯、坐作進退なしつつある、それが至道であり大道であり妙道である。若し此外に至道あり大道あり妙道ありと思はば、それは邪道にして魔道、偽道にして悪道であります』(41頁)



8 鈴木俊隆『禅マインド ビギナーズ・マインド』

『日本語では初心といいますが、それは「初めての人の心(ビギナーズ・マインド)」という意味です。修行の目的は、この初めての心、そのままを保つことです』(31頁)

ブッダは、当時存在していた宗教を受け入れることはできませんでした。多くの宗教を勉強されましたが、その修行には満足できませんでした。哲学や苦行では、答えを見つけることができなかったのです。またブッダは、形而上学的な存在には興味がなかったのです』(44頁)

『ある考えを獲得しようとすることから解放された修行とは、般若心経(略)にもとづいています。しかし、注意しないと、心経それ自体が、なにかの考えを与えてしまいます。般若心経は「現象〈フォーム〉とは空〈エンプティネス〉である、空はそのまま現象である」といっています。しかし、こうした考え、ただこれだけの考えに執着してしまうと、二元論に陥ってしまいます。(略)われわれの教えは、「色は色であり、空は空である」といっています。ここには二元論はありません』(74頁)



9 鈴木大拙『禅』

『思想の歴史が証明するように、非凡な知性の人によって築かれた新しい体系は、どれも必ず、後に続く者たちによって、倒されてきた。このように絶え間なく、倒してはまた組立てるということは、哲学自体に関するかぎり結構なことである。なぜならば、自分が思うに、知性本来の性質がそれを要求するのであって、哲学的探求の進行は、われわれの呼吸と同じように止めることができないからである。しかし、人生それ自体の問題になってくると、たとえ知性が究極の解決をもたらすことができるとしても、それを待つわけにはゆかない。われわれは、一瞬たりとも、生活活動を停止して、哲学が人生の神秘を解き明かすのを待つわけにはゆかない。神秘はそのままにしておいても、われわれは生きねばならぬ』(50頁)

仏陀は、知性についてまことにプラグマティックな考えを持っていた。かれは、多くの哲学的問題を、人生の究極目的を達成する上には不必要なこととして、未解決のまますて置いた。(略)“法(ダルマ)”(dharma)、“涅槃”(nirvāna)、“自我(アートマン)”(artman)、“業(カルマ)”(kārma)、“菩提”(bodhi、悟り)等の概念の究極の意味について、無益な思索にふける必要はなかったのである』(93頁)



10 鈴木大拙『禅学入門』

『禅教徒は一、二の教理を持っていることもあろうが、それらは皆自分の便宜のためであって、禅そのものから出たものではない』(23頁)

『禅は何を教えるのかと問うものがあれば、私は答える。禅は何物も教えないと』(23頁)

『一弟子が師に「私は仏教の真理を求めんとして来た、いかが致すべきや」と問うた。
 師は「汝はここに来て何を求めんとするのか。汝は何ゆえに自らのうちにあるものを打ち捨て、外に何かを探しまわらんとするのか。われは一物の汝に与うべきものを有(も)たぬ。何の仏法をこの寺に来てさぐり当てんとはする。本来一物もないではないか」と答えた』(41~42頁)

『趙州は虚無哲学の無効をかく明白に喝破したのである。禅の真理に達するには「無一物」という観念さえも捨てなければならぬのである。断定すべき何物もなくなった時、初めて仏陀は現れて来る。仏陀のために、仏陀を捨てるのである。禅の真理を体得するにはただこの一筋道があるばかりで、虚無を語ったり、絶対を口にしている間は禅は遠く吾々を離れている。吾々は絶えず禅から遠ざかろうとしている。「空」の足場すら脱ぎすてられねばならない。救いの道はまず自らを無限の深淵に投ずることである。これはまったく容易なる仕事ではない』(51頁)



11 鈴木大拙『禅と日本文化』

『禅には、一揃いの概念や知的公式を持つ特別な理論や哲学があるわけではない。ただそれは人を生死の羈絆(きずな)から解こうとするのである。(略)禅は無政府主義アナーキズム)やファシズムにも、共産主義や民主主義にも、無神論(アイシーズム)や唯心論(アイデアリズム)にも、またいかなる政治的、経済的な教説(ドグマ)にも結びついている。ある意味では、禅はいつも、革新的精神の鼓吹者ともいえる。また過激な反逆者にもなれば頑固な守旧派にもなりうるものを、そのなかに貯えている』(37~38頁)

『厳格にいえば、禅には自己の哲学というようなものは無い。(略)

禅匠は、ある理屈づけに対して、その方が都合がいいと思えば、かならずしも伝統的の解釈にしたがわずに、それによって、自分自身の哲学的構造を打樹てていいのだ。禅徒はときとすると儒教徒、ときとすると道教徒、また、ときとすると神道家にさえなりうるのである』(105頁)



12 鈴木大拙『日本的霊性

『禅者はよく「這箇(しゃこ)」という。心といっても、また仏、人といっても、もとよりよろしい(略)

「這箇」は「これ」である。しかし「これ」もまた、月を指す指で、その指に囚えられてはならぬ。この指はつまり何も指さされたもののない指である。指さされて見るべき月はないのである。そしてその指も亦もとよりないのである。それ故、無い月を指すのは、指であろうが、拄杖であろうが、坊さんのもつ払子であろうが、それは何でもよいのだ。が、何にもない指で指された、何もない月は、その何もないところから照りわたるのである』(359~360頁)

『禅の行き方は、いつも一方に肯定をおき、また一方に否定をおく。その二つは絶対的に矛盾する。それをそのままにしておく、否定にも拠らず、肯定にも拠らない。そしてそこで一句を言えと、逼ってくるのである。この一句が絶対の一句である。それが道取できなくてはならぬ。ここに絶対の現在の自己限定がある。天地が剖れるとか、物が出て来るとかいうところにのみ囚えられて居ると、絶対が見えぬ。相対をそのままにしておいて、しかも相対ならざるものを見なくてはならぬ』(389頁)



13 鈴木隆泰「大乗経典―仏教における〈教え〉とは何か―」『山口県立大学 :大学院論集 第8号』

釈尊の説法(〈教え〉としての仏教)の一大特徴は、教義の固定化を避ける点にある。縁起(略)という根本的真理に支えられながら、釈尊の説法は千変万化の様相を呈する。時には、内容に前後の矛盾を孕んでいることも決して稀ではない』(1頁)



14 藤吉慈海『禅と浄土教

『禅においてはドグマの束縛がなく、自己の宗教体験に即して浄土教のそれを理解し得るところに、禅の自在性があるといえよう』(99頁)



15 前田利鎌『臨済荘子

『古代の自由人は、人間の積極的な活動を阻害する三個の怪物を殺戮してしまう。――精神の粘着停滞する対象と、精神の奔放な発動を圧迫する禁止的価値観と、われわられの大胆な自己主張を畏怖せしめる死の脅威とを』(9頁)

臨済のいう出家とは伝統的な生活からの逃避と解すべきではない。家とはわれわれの生命を囲繞して圧迫阻害する偏見的思想、反生命的価値観、環境対象に牛耳られる執着――即ち人間の生命を幽閉するもろもろの化石的な殻という意味である。従って禅門における出家とか、破家散宅とかいう意味は、――換言すれば一切を自由に所有すること、一切に対して自由なる君主として振舞うことに他ならない』(40~41頁)

臨済は、学人のよるところ、跼蹐(きょくせき)するところを片っ端から破壊して、相手を自由の天地に駆り立てて行く。ここにおいて彼は、飽迄も徹底的な偶像破壊者となって現れて来る。かの四科揀にせよ、四喝にせよ、要するに学人の依るところ、執着するところを殺戮して行く破邪の剣である――「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺し、初めて解脱を得て物と拘わらず、透脱自在なり。諸方の道流の如くんば、未だ物に依らずして出で来る底にあらず。」――自己の自由と主権とを阻害する一切の対象は破壊されねばならない。(略)

臨済は一物も与えずして、徹底的に奪って行く。飢人の食を奪い、耕夫の牛を駆る、というものもこの消息を語るものである。己を確立して自由な自然児になるためには、人惑迷執を惹き起す一切の偶像は破壊せられねばならない。先ず仏門における最大の偶像は――仏である。仏を礼拝するは愚か、仏に自らなろうとするのが已に人間の無知を語るものである。臨済は寸毫の仮借なく、口を極めて伝統的な既成概念を罵倒している。――いわゆる仏を求め、法を求めるのも一種の迷妄である。それらは一種の抽象的な概念――名句、名字にすぎない。単に頭の中で捏ね上げた仏などは、俺の眼から見れば、糞壺――厠孔のようなものだ。菩薩羅漢の如き概念は、尽くこれ首械、手械、人を縛する底の邪魔物である。従ってそれらのものを御大相に書き記したような、一切の経文の如きは、「不浄を拭うの故紙」にすぎない。古人の言説や経文に没頭するのは、「糞塊上に向って乱咬する」の醜態ではないか。それにもかかわらず、一切の学人どもは、聞きかじり、読みかじりして教理などを語って得意でいるが、そんな醜態は糞塊を口に含んで、また人に向って吐き与えるようなものだ』(41~43頁)



16 柳田聖山『禅思想』

『『二入四行論』の雑録の一部(略)に、つぎのような一段がある。
 
縁法師がいった、「一切の経論はみなこころを起す教えにすぎぬ。道という心を起すと、たちまち巧偽が生れて、有事のなかにおちこむ。心が起らなければ、なんで坐禅する要があろう。巧偽が生れなければ、念を正すには及ばぬ。菩提心を発さず、知恵にとらわれなければ、事も理も共に消え尽きる」
 
一切の経論は心を起す教えである。すくなくとも、心が起ってからのあと始末である。仏陀は弟子あっちのひき起す不始末のたびに、一つずつ戒律を制せられたという。随犯随制である。法律というものは、すべてそんなものだ。はじめから犯罪を予定して、禁令をだすのは宗教のことではない。説法もまたおなじである。ブッダの説法は、すべて弟子たちの質問に答えてのことだ。問わねば、答えぬ。問があって答がある。応病与薬である』(36頁)

『道心を起すことが、巧偽をひき起す。道心を起すことが、じつはすでに道に背くわざなのだ。(略)もともと坐禅は起こった心を静めるための対症療法であった。(略)応病与薬の法であった。乱れた心を制する技術である。応病与薬の法であった。『二入四行論』の雑録に、つぎのような問答がある。

ある人が顕禅師にたずねた、「何を薬というのです」

答、「一切の大乗は、病気に対する応急処置にすぎぬ。心そのものが病気を起さなければ、どうして病気に対する薬がいろう。有という病気に対して空無という薬を説き、有我という病気に対して無我という薬を説き……、迷いに対して悟りを説く。これらはすべて、病気に対する応急処置である。病まぬのに、どうして薬がいろう」

顕禅師もまた伝記の判らぬ人だが、その主張は縁法師と変わらぬ。(略)病まぬのに、薬はいらない。病まぬ人に薬を与えるのは、わざわざ病人をつくるようなものだ。心が起らぬのに、強いて心を起すにひとしい。われわれは、とかく病を実体化しやすい。病を実体化することから、薬の実体化が始まる。(略)病の実体化することの危うさは知りやすい。薬を実体化することの怖さは気づきにくい』(37~38頁)

『馬祖派の主張は、われわれの心を起し念を動かし、指をはじき、目の玉をぎょろつかせるなど、することなすこと、すべてが仏性の活動そのものであって、けっして他のものが動いているのではないというにある。つまり、われわれがものをほしがり、何かに腹をたて、煩悩を起すことの全体が、善であれ悪であれ、楽であれ苦であれ、そのすべてが仏性なのである。(略)心を起して悪念をやめるまでもなく、また心を起して道を修するまでもないのだ。道がそのまま心であるから、心で心を修めることはできないし、悪心もまた心であるから、心で心を断つこともできない。悪をやめず、善をなさず、任運自在であるのを解脱とよぶのだ。どこにもわれわれを拘束する理法はないし、われらが努めて成るべき仏もないのだ』(136頁)



17 柳田聖山『禅と日本文化』

ブッダは晩年、こんな述懐を残している。

「わたしは、ある夜、はじめて最高の悟りに達してから、涅槃に入る死の朝を迎えるまで、その間に未だ一言も、ものを言ったことがない」

 ブッダは三十歳で悟りをひらき、七十九歳で亡くなるまでの四十九年間、席の温まる暇もないほど、忙しい伝道と遊行の生活をつづける。衆生の苦悩を救うための、徹底した奉仕の生涯であった。(略)

ブッダの説法は、いつも応病与薬であった。医者が患者の病に応じて、薬を与えるのと同じである。戒律も、同じことである。弟子たちが間違いをしでかすたびに、今後こういうことをしてはならん、もし犯したら、こういう罰を与えるぞ、というのである。一つ一つ、戒律が増えて来た。

要するに、経典も、戒律も、本当は無かった方がよかった。すべてが弟子たちの間違いの、後始末であった。かまどの灰などという、迷信を助ける危険さえまざりかねない。さらに、苦悩は無限である。方便は人類の、苦悩の数だけ必要となる。収拾は、不可能である。あの晩年の述懐は、そのことを表すといえそうである。

ブッダの死後、経典や戒律の編集に当たって、弟子たちが最も苦心したのも、じつはこの点であった。さまざまの方便の言葉をめぐって、弟子たちの意見が分かれた。方便そのものに、矛盾があったからである』(26~29頁)



18 山田邦男編『森本省念老師 下〈回想篇〉』

『森本老師は長い間寝たきりの母堂に何とかして安心の境地を手に入れてほしいと思い、暁烏敏(あけがらすはや)全集を何回も読んできかされ、その結果母堂はとうとう。「孝治さん、仏法というのはこれというものがあったらあかんのやなあ」と領解して安心を得て、それにより老師自身も肩の荷をおろして安心されたのである』(44頁)
 
『『若し仏法を論ぜば一切現成』、肯定も否定も『義なきを義とす』、解決つかぬが解決したこと。しかし、解決したと言うと、ウソになる。なり切る。しかし、なり切ったということがあったら、ウソ。ちょっとでも坐禅したという尻尾があったらダメ。ごんべえ、太郎べえの言葉は、知らんだけ本物だ』(190頁)





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