座禅普及

主旨は慈悲。行は座禅。

応病与薬――月を差す指

「『浄土宗』と申しますと、ややもすると、死後のことばかり言う、死後往生、死後往生という、そんなことを言って何になるのだというおしかりを受けることがありますが、実際死後のことは何も言っておりません。死ぬまでのことが大切なのです。いまから死ぬ…

大智と大悲とが一致する実例

「このハンバーグの下のパスタってかさ増しじゃん?」「まじ消費者舐(な)めてるわ~」。弁当の作り方について、女性が毒づきます。すると、別の女性が解説します。「これは“ガロニ”といって、時間が経つと出る油を吸ってベタベタになるのを防ぐの」「揚げ…

「ひじ、外に曲らず」ーー限界への畏敬

「大拙には渡米直前の明治二九年一二月の臘八大摂心において、所謂見性体験があったと言われ、さらに渡米後、〈ひじ、外に曲らず〉という一句に出会うことでそれが徹底を見たと言われる。そのあたりの経緯を秋月が大拙にインタビューした際、大拙は、『〈ひ…

修証一如

「俳句の道に入ったからには、とにかく作ることから始まります。多く作り、多く反省して、自分を鍛える。これが唯一の方法であります。」(阿部筲人『俳句――四合目からの出発』5頁) 先日、一月半ぶりで、80歳過ぎの母に会いました。痴呆症の大きな要因の…

【参考資料】坐禅修行の非本質性

先日、臨済宗系の勉強会に参加したところ、久参の方から、坐禅をしなくても、見性することはあるのかといった質問が講師の方に対してされる場面を目にしました。そもそも見性やら悟りやらにこだわるのもどうかと思うのですが、見性や悟りという観点からも、…

禅=現実=大拙の“something”

「禅は、五官のはたらきも知的作用も道徳も無視しない。美しいものは美しく、善いものは善く、真なるものは真である。禅は、われわれが眼前の事物を評価するために普通下す判断に反対はしない。禅を形成するものは、これらの判断の一切に、更に禅が附け加へ…

隠山派と卓州派との室内の相違

「白隠の会下に四十余人の豪傑があったが、其中(そのうち)東嶺(とうれい)遂翁(すいおう)の二師が其(その)上足(じょうそく)であった。(略)遂翁の法嗣(ほっす)は、(略)春叢(しゅんそう)と云うので断絶してしまった。所が東嶺和尚の方脈は益…

鈴木大拙の井上円了・仏教教団批判

「禅はみずから仏教であることを標榜しているが、同時にその禅の見るところによれば、経論の中に述べられている仏教の教えといったものは、単にほご紙同然であって、つまるところ知性の汚物を拭い去るだけの役目しかなく、決してそれ以上とは見ないのである…

釈宗演老師の見ていたもの

「わたしは宗演老師について一週間ばかりで見性(最初の公案が透ること)したですね。(略)入室(師匠の室に入って問答すること)すれば、公案はどんどん透る。それはゆるいもので、坐禅などは短いほうがいいと言って、三年ぐらいでどんどん上げてしまって…

鈴木大拙『百醜千拙』を読む(その2・組織化の不幸)

「人間の事はいつもこんな順序で興亡盛衰の後を遂うのだ。始めに力あり生命あり涙ある経験があった。此の経験で自分というものが光明を得た、或は救われた。此の恵みを他にも分ちたい、又自分でも意識の上で十分に味いたい。此の考えが経験を知的に組織せし…

慈悲の行じ方

「最後に軽く触れたいのは、私が好んで日本の仏教徒の『悪い癖』と言うことです。正直に言って、私はそれを聞くたびに、少し憤慨します。すなわち、利他の話をするときに日本の仏教徒が、ほとんど例外なしに、利他を教化と同一視するということです。そうす…

あるかどうかわからないことは、ないものとして行動するしかない

「ゴーダマ・ブッダによると、当時の思想界で行われていた種々の哲学説、宗教説は、いずれも相対的、一方的であり、結局解決し得ない形而上学的問題について論争を行っているために、確執に陥り、真理を見失っているのです。(略)イエスともノーとも答えな…

如来清浄心

「ダルマの思想は何かということになるが、これについてはよくわからない。ダルマのイメージは時代と共に増幅されていった。(略)唐の道宣(五九六―六六七)の『続高僧伝』巻十六のダルマ伝では、曇林の書いた「二入四行論」を引用する。これがダルマの思想…

ゲームチェンジャー

「周りと自分とを比較しながら競争ルールに巻き込まれていくのではなく、逆転の発想ができるゲームチェンジャーとして、自分ならではの個性を追求することに専念しました」先日のヤフーニュースに出ていたブロードウェイで活躍しているという由水南さんの言…

煩悩即菩提

「本来の仏教では、『愛』という語は、いつも『憎』とウラハラの意味をもつ語として用いられ、あまりよい意味では使われなかった。『愛』は常に、その裏に『憎しみ』を秘めているものとして、仏教では否定的に見られてきた。そのよい例が、釈尊の『四諦』の…

直指人心、見性成仏

「青年は老師の目をまっすぐに見つめて、重ねて尋ねた。 『僕とは何ですか』 老師は、そこで言われた。 『君は今日ただ今から自分のことを勘定に入れないで、他人のために一所懸命に働いてみよ。そうして、他人のために働いた結果、自分が『よかった、幸せだ…

不確かな世界を愛している

「(形而上学的な問題について)釈尊は答えられないときには、沈黙を守る。そしてその沈黙に対する執拗な追及があり、まれに釈尊は適切な比喩を、相手または弟子に示す。(略) 『(略)世界の常・無常などをいつまでも求める人は、解答の得られないあいだに…

【参考資料】“現に存在する”苦しみには問題がない

「明治から昭和にかけて約半世紀近く建長寺派の管長をつとめた菅原時保(じほう)老師は『日面仏,月面仏,訳すれば,”ああ死にともない,死にともない”』と提唱されている。 近代の傑物であった飯田欓隠老師は,痔の手術をして,「痛い痛い。何にも無いとい…

一切皆苦の理由

荒野に立っている。 何かよいものがないかと、素手で周りの土を掘り返すが何も出てこない。 掘っても、掘っても、探しても、探しても何も出てこない。 疲れて、爪に挟まった土を見る。 また、何かよいものがないかと土を掘り返す。 やはり、何も出てこない。…

在家修行の問題性

1 仏道修行は利己主義を懐疑する「人生というものは元来我儘なものです。つまり人間の行動は全て利己主義的なものです。つまり人間の行動の全ては利己主義的なものです。人間はそれぞれ自分の理想を持っていますが、その理想の正体も結局のところ自己満足の…

「輪廻」という「真理」?=上座仏教の神秘主義的性格

坐禅を始めてから、落ちつけるようになると同時に、積極的に物事に対処できるようになるなど、日常が手堅くよくなってきたことから、坐禅を行とする禅や仏教について学んだり、実践する中で、上座仏教に興味を持ち、上座仏教の勉強会にも行くようになりまし…

【参考資料】師弟関係

(1)酒井得元『沢木興道聞き書き ある禅僧の生涯』 「むかしは面白い。師匠を見て歩くのである。ひと晩泊まって、ただ飯を食わせてもらい、翌朝、朝参といって師家に面会して、お茶をよばれ、二言、三言話をして、ははあ、これはいかぬと思ったら、どんど…

個人の人生の充足と、他者=世界の調和との一致点としての「慈悲」

「臨済のいう出家とは伝統的な生活からの逃避と解すべきではない。家とはわれわれの生命を囲繞して圧迫阻害する偏見的思想、反生命的価値観、環境対象に牛耳られる執着――即ち人間の生命を幽閉するもろもろの化石的な殻という意味である。従って禅門における…

仏教はなく、禅もない

「全部が仏法であり、特別なものは、何に一つもなかったのです。したがって仏法は特別な神がかり的な自己満足的修行することではなかったのです。何故ならば、一切衆生悉有仏性だからです。したがって宇宙の全てが仏性、即ち真実です。故にこれこそはという…

【参考資料】仏教/禅は自由を説く

(1)鈴木大拙1)「禅は心を純粋の虚無にするがごときまったくの否定ではない。何となれば、それは知的自殺だからである。禅には何か自己肯定のものがある。しかもそれは自由であり、絶対である。そして限界を知らず、抽象の取扱いを拒むものである。禅は…

【参考資料】現象に徹し、現象の要因、背景を妄想しない

禅が不立文字というのは要するにこういうこと。 一言でいえば…… 「禅そのものの説明ということはあり得ない。禅そのものはないからである。」(上田閑照『禅仏教』3頁) この後には、「あるいは、『風が吹く』ーーそれが禅であり、『腹が痛い』ーーそれが禅…

利他は個人の自由意志に基づかなくてはならない。

「仏教は慈悲を以て主旨とする」(釈宗演『一字不説』2頁) 仏教と呼ばれる宗派には色々あるけれど、その共通する本質は、慈悲、すなわち、利他であるとつくづく思う。 「大慈悲を有(も)ってあれば、誰れでも(略)、立派な佛であります。(略)慈悲心の…

生まれてきた理由

「人間は誰かを愛するために生まれてきたのです。誰も愛さないで死んでいくことは、せっかく生きてきたのに惜しいことだと思います。 もちろん、愛したらいろんな苦しみがともないます。けれどもその苦しみを味わわないと、人間の真のやさしさとか想像力とか…

当処即蓮華国

「大に有事にして過ごす処の人間,今日の生存競争場裡の働きが其儘無事底の境界で,何程どんちゃん働いて居ても無事じゃ。朝から晩まで,あくせくと働いて其上が,しかもそのまま無事じゃ。世間から離れる意味ではない。」 (釈宗活『臨済録講話』221~2…

仏道修行者と知能が平均以上の自閉症(その1)

1 自信の持てない仏道修行者 ちょっとの勉強のつもりで、自閉症の本を読むようになったのですが、現在の自閉症の研究の知見を踏まえると、仏道に絡むいろいろな現象について、合理的に説明ができるように感じています。 なお、念のためですが、最近の研究に…