坐禅普及

主旨は慈悲。行は坐禅。

2020-01-01から1ヶ月間の記事一覧

個人の人生の充足と、他者=世界の調和との一致点としての「慈悲」

「臨済のいう出家とは伝統的な生活からの逃避と解すべきではない。家とはわれわれの生命を囲繞して圧迫阻害する偏見的思想、反生命的価値観、環境対象に牛耳られる執着――即ち人間の生命を幽閉するもろもろの化石的な殻という意味である。従って禅門における…

仏教はなく、禅もない

「全部が仏法であり、特別なものは、何に一つもなかったのです。したがって仏法は特別な神がかり的な自己満足的修行することではなかったのです。何故ならば、一切衆生悉有仏性だからです。したがって宇宙の全てが仏性、即ち真実です。故にこれこそはという…

【参考資料】仏教/禅は自由を説く

(1)鈴木大拙1)「禅は心を純粋の虚無にするがごときまったくの否定ではない。何となれば、それは知的自殺だからである。禅には何か自己肯定のものがある。しかもそれは自由であり、絶対である。そして限界を知らず、抽象の取扱いを拒むものである。禅は…

【参考資料】現象に徹し、現象の要因、背景を妄想しない

禅が不立文字というのは要するにこういうこと。 一言でいえば…… 「禅そのものの説明ということはあり得ない。禅そのものはないからである。」(上田閑照『禅仏教』3頁) この後には、「あるいは、『風が吹く』ーーそれが禅であり、『腹が痛い』ーーそれが禅…

利他は個人の自由意志に基づかなくてはならない。

「仏教は慈悲を以て主旨とする」(釈宗演『一字不説』2頁) 仏教と呼ばれる宗派には色々あるけれど、その共通する本質は、慈悲、すなわち、利他であるとつくづく思う。 「大慈悲を有(も)ってあれば、誰れでも(略)、立派な佛であります。(略)慈悲心の…

生まれてきた理由

「人間は誰かを愛するために生まれてきたのです。誰も愛さないで死んでいくことは、せっかく生きてきたのに惜しいことだと思います。 もちろん、愛したらいろんな苦しみがともないます。けれどもその苦しみを味わわないと、人間の真のやさしさとか想像力とか…

当処即蓮華国

「大に有事にして過ごす処の人間,今日の生存競争場裡の働きが其儘無事底の境界で,何程どんちゃん働いて居ても無事じゃ。朝から晩まで,あくせくと働いて其上が,しかもそのまま無事じゃ。世間から離れる意味ではない。」 (釈宗活『臨済録講話』221~2…