坐禅普及

主旨は慈悲。行は坐禅。

参考資料「禅と向上」

【参考資料:禅と向上】



(1)釈宗演『快人快馬』

184頁~186頁
「仏教では常に煩悩を排斥して悟を求めるという様なことを申すが、之を現実的に言って見ると、唯々古いものを捨て新しいものを取るという程のことで、(略)新陳代謝する、即ち我々が茲に存在して生々として活動して居るのは、畢竟、新陳代謝作用の表現である。元来、此體は皆な細胞から出来て居る(略)我々人類が国家を作ったり社会を造ったりして居るものも、ちょうど、此の身體を造り上げて居る細胞みたようなものである。一匹の細胞が務めを怠り、小さな蟲一つが段々務めを離れてくると健全な身體も何時の間にか虚弱に成って役に立たなくなる。健全なる身體であるならば、無数の細胞が新陳代謝を続けて身體の中に活動して居るのである。人類社会もそうで百年も千年も新陳代謝が行われず其儘にして行った時は、宗教も道徳も悉く退歩して仕舞う、細胞が怠けると病気になり、遂に死滅に帰していくのである。故に我々は先ず體中の小さな蟲一匹として、即ち社会の一員として此健康を保ち、そうして常に怠らずして努めて以て病気に打勝ち、常に健康にならなければならぬ。健康になったならば、更に一層勇気を鼓して働こうというのが、それが一種の宗教的信仰であろうと思う。(略)斯様にして、少し斗りでも腐った所がない、弱った所がない、而して懶(なま)た所がない様にして、始めて人間の務めを果し得ると衲は固く信じて居る。」

(2)鈴木大拙『禅仏教入門』

101頁
「禅を自然主義や自由放縦主義と混同することは、断じて許されない。それらは、原因とか価値に対する問いをなんら発せず、ただ人間の自然の傾向に盲従するものである。しかし、人間の行為と、道徳的洞察と宗教意識を欠いた動物の行動とのあいだには大きな差がある。動物は生活状態の改善のために、もしくは徳性を高めるために工夫努力することを知らぬのである。」

鈴木大拙先生の考え方は、私の実感にも合うのですが、所々スピリチュアルな用語があり、警戒して読む必要があるかなと思っています。

特に「宗教的意識」という概念は余りにあやふやで誤解を生むのではないかと思っています。

禅は、日常生活を離れたないということからすると、日常生活上の一般的な用語や自然科学や社会科学上の「無機質な用語」ではない、スピリチュアルな用語は相手にしないのがよいのではないかと思っています。



(3)鈴木大拙『禅堂の修行と生活 禅の世界』

131頁
「 謙下心、自己修練、人生のより高き目的への熱望などは禁欲主義の哲学の根底に存する。禁欲主義はかならずしも消極的ではない、またそれは不健全な心的状態から来るものでもなく、一般に倒錯せる人生観より生じ来たるものでもない。そこには、何か積極的なものが、ひからびた「否定」の仮面の下に動いている。禅を一種の禁欲主義と見なし、それより以上のなにものでもないとするならば、それは悲しむべき誤謬である。禅の志すところは、肉体の要求を最小限に圧縮して、その勢力を転じてより高き活動領域に向わしめんとするにある。肉体を苦しめることはその目的とするところではないし、また功徳を積んでそれによって善生を未来に期することもその目的ではない。自己一身のためのみならず、他の者のために、現世にあって実現したいと欲するところのより高き価値を見いだすとき、人は常に彼自身の単なる肉体的幸福の考慮より超脱する必要にせまられる。肉体がそれ自体よりもより高きものの容器であるかぎり、肉体上の幸福は、もちろん、まったく無視せらるべきではない。」

(4)鈴木俊隆『禅マインド ビギナーズ・マインド』

68~69頁 
「正しい方法で禅を修行すれば、最高の馬でも、一番劣った馬でも関係ありません。ブッダの慈悲を考えてみれば、ブッダがこの四種の馬に対してどう感じていたかは、すぐにわかるでしょう。ブッダは、卓越した馬よりも、最悪の馬に対して、より慈悲を感じたはずです。

ブッダの偉大な心とともに坐禅の修行をすると決意すると、最悪の馬こそがもっとも大事な馬だとわかります。自分が不完全であるからこそ、道を求める心のしっかりとした基礎ができるのです。」

84頁 
「合掌礼拝は、自己中心的な考えを取り除く助けになります。(略)結果はそれほど問題ではありません。そうした努力をするということ、自分自身を自己中心的な人間からもっと向上させるということ、それに価値があるのです。この修行に終わりということはありません。」

252頁
「毎日の暮らしの中では、なにかをしようとします。なにかを別のものに変えようとか、なにかを得ようとします。なにかを別のものに変えようとか、なにかを得ようとします。このようになにかをしようとすることは、すでに、私たちの本性の表れなのです。その意味は、そうしようとする努力それ自身の中にあるのです。」






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