鈴木大拙の『禅学入門』を読み返していたら、次のような記述を発見して、勇気付けられました。
やはり、我が禅海波瀾洪大、嫌う底の法なく、著するの底の法なし、驢を通し、馬を通す必要がある。
重要なことは、否定ではなく、自然と限定していくこと。
”禅が否定を利用しなければならぬのは、吾々の「無明」が、あたかもぬれた衣服を体に纏うように吾々の心に頑強に纏わっているからである。「無明」は必ずしも悪くはないが、しかしそれはその自己の範囲を越してはならぬのである。「無明」は論理的二元主義の他の名目である。”
(鈴木大拙『禅学入門』46頁)