坐禅普及

主旨は慈悲。行は坐禅。

座禅中の雑念の放置に関する参考資料

(1)飯田欓隠『通俗禅学読本』
33頁 若しも坐禅中色々のこと思い起すことありとも、それはそれに任せて、只そのものそれに純一になればそれでよい。皆坐禅中の出来ごとであるから、坐(34頁)禅の分布である。この事南堂静禅師が委曲論及しておる。坐禅中心念粉飛せば如何に退治せんの垂誡至れり尽くせり、心念何れより起る。心念そのもの如何と見よ、粉飛その物も自性なし、能照の心なく所照の處なくんば、そのものながら脱落せるものにあらずや。却ってそのものそれをとらえて、心身脱落の好材料とするにたるに非ずや。所詮坐禅中いかに心念紛飛すとも関する處にあらず、只思うままに任せて可なりである。即是思量不思量底のものにあらずして何ぞや。実参実究するがよい。
(2)平井富雄『座禅の科学』
66頁(曹洞宗の禅僧)「座禅の最中に雑念が生じた場合、自然に消えるのを待つ。決して、これを消そうとして念を追うことをしない。そのうち雑念が消え、意識することなしに統一した心の状態になる。」
 また別の僧侶はこれをもっと具体的に語ってくれた。
「雑念はやはり浮ぶ。眼に見えるもの(座禅中は目を開いていなくてはならない)、耳に聞くものに(67頁)関係して雑念が生ずる。ここ(座禅中の脳波を検査した禅堂)では、スリッパの音が聞えたが、すると寂場を邪魔しないおうにという祖師様(瑩山のこと)の教えが浮び、近ごろの坊主はそういう点には無関心で、躾けをもっと厳しくする必要がある。いつか参禅会での風景が浮んで、そおときの厳しい雰囲気が思い出される。叱ってはいけないが、日々の生活のなかで適度の厳しさはやはり必要だと思う。いまの人には静かに叱ることがよいようだ……」と。
 スリッパの音をきっかけとして、座禅修行の指導者である僧侶に湧いてきた、これは「想念」というべきものである。
「雑念はやはり出てくる。しかし、それをそのままにしているうちに消えるか、座禅の妨げとなる場合には、座相(=調身)を正しくして、心の動揺が落ち着くのを自然(じねん)に待つ。それが三昧の心の状態である」ともつけ加えている。
(略)
 したがって、「念」が湧いても、それに引きずりまわされることなく、正しい座禅を実践することによって、自然に意識から去って行く。彼らは、これを「念のありつぶれ」と述べたが、心理学的にいうと、確実に「意識状態の変化」が生じていることを証明するものであろう。