坐禅普及

主旨は慈悲。行は坐禅。

【参考資料】師弟関係(第2版)

(1)沢木興道:酒井得元『沢木興道聞き書き ある禅僧の生涯』

「証道歌にも『紅梅に遊び、山川を渉り、師を尋ね、道を訪うて参禅をなす』とあるように、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、自分の教えを受けるべき正師を求めて歩いたもので、これを遍参(へんざん)というのである。(略)

むかしは面白い。師匠を見て歩くのである。ひと晩泊まって、ただ飯を食わせてもらい、翌朝、朝参といって師家に面会して、お茶をよばれ、二言、三言話をして、ははあ、これはいかぬと思ったら、どんどん出発してしまう。これはよいなと思ったら、いつまでもそこにとどまる。それが雲水行脚、すなわち遍参の意味である。

つまり雲水とは、行雲流水の如く師を尋ね、道を訪れて参禅をなすからである。(略)つまり、ただ向こうをむいて行くばかりといったのが雲水である。」(74~75頁)

*「ただ向こうをむいて行くばかり」というのもよいですね。

 類例はこれ。

「小児が水に溺れている。私が水中に飛び込む。そして小児が救われる。ただそれだけのことである。なさねばならぬことがなされたのだ。私は歩み去る。そして後を振り向かない。」

鈴木大拙『禅学入門』196~197頁)



(2)有馬賴底『無の道を生きる――禅の辻説法』

「禅では、師匠を自ら選ぶことができます。納得がいくまで、さまざまな師匠を尋ね歩き、その門下で修行をする。はじめから生涯の師に出会うことができる人もいるでしょうし、なかなかめぐり会えない人もいます。ときには『この人こそ生涯の師』と一度は思ったものの、その門下で修行を重ねるうちに違う道へ分かれていくこともある。」(81頁)



(3) 有馬頼底『臨済録を読む』

臨済宗はね、どこの僧堂に行ってもいいんです。それで、その師とうまく合わなかったら変わってもいい。それで『転籍』(てんじゃく)という言葉があります。転籍は悪いことではないんです。

で、某寺を出て、次の師を探す。その時、旅をします。」(226~227頁)



(4)横田南嶺発言「対談「禅僧と医師、瞑想スクランブル」」『サンガジャパンVol.32』51~52頁

ブッダ、お釈迦様の教えの根本は、病に応じて薬を与えるということであり、それは皆さんもご承知のことだと思います。しかし私たちが犯しやすい誤りというのは、自分に合っている教えが万人に共通する、通用すると思いがちなところです。自分に偶さかその教えが合っていれば、相手もそれでいける、通じるはずだと思ってしまう。そうなると、その相手を見ておらず、押しつけになってしまいます。人それぞれの特性と言いましょうか、生まれてこのかた体、体質、考え方、環境、人間は千差万別です。『これですべてが通用する』というようなものは、私はないと思うのです。ですから、様々な教えや修行方法をたくさん学んで、そして自分に一番ふさわしいもの、あるいは今の自分にふさわしいものを自分で見つけて実践していく、これに尽きるといのが、私の今のところの結論であります。

ところが我々、禅の世界というのは、老師方は自分が体究練磨、苦労に苦労を重ねて体験しますと、もうそれが万人に通用するという感じで、『お前も苦労しろ、お前も苦労しろ』となるのです。『どうだ、わかったか』『まだだめです』と言うと『それは苦労が足らんのだ!』で終わり。それでやれる人もいますが、中にはついていけない人も出てきます。禅の世界というのは、大勢の中から一人か半人できればいいんだ、というわけです。

特に今、私どもの修行道場にもいろいろな人たちが来る時代でございます。そうすると教える側も様々な学びを得て、その人がせっかく修行に来たからにはすぐに『だめだ』と言うのではなくて、それぞれが体験できるような道を作っていかなければいけないと思って日夜、勉強をしているところでございます。」



(5) 鈴木大拙『禅の研究』

「禅の修行僧を雲水と云うが、それは行雲流水の義で、彼等はよくあちらこちらと行脚するのである。昔からそうであった。(略)とに角禅坊主はあすこの道場、こちらの道場と渡りあるいて、封建時代の武者修行の如く、道眼の徹底を期した。」(19頁)



(6)秋月龍珉『公案

「専門的に『見地』の明らかな『道力』を具えた、そして世間的にも人格・識見ともにすぐれた人物を選んで師とすべきである。古川堯達老師が『師家たる者は、師匠ひとりだけが印可しても何もならぬ。真の印可は天からからもらえ』と喝破されたのは、ここのことであろう。

良き師は求めて得られるものでもない。しかしまた求めなくてはけっして得られない。『しからば真師は如何にして見つけるか。それには師たるべき人の私生活を観察するのが捷径(はやみち)であろう。言行一致するや否や、常識的に見て私生活が立派なりや否やを観察すれば、だいたい誤りはない。私は禅機とともに禅によって得られたヒューマニティに魅力を覚える』。これは野口明先生(お茶の水大学元学長)の名言であるが、導師のもっとも根本的な心得を教えて、けだし至言に近い。ただし、古来『真正の見解さえあれば少々不品行でもよい。正見ある者を師とせよ』と評してもある。行解相応の師など昔もなかなか少なかったものらしい。」(58頁)

「禅では『病は一師一友のところにあり』という。今日は、自己の師匠一人の室内しか知らないで、道場の師家として立つ向きもあるやに聞く。禅には遍参ということが大事だとは、毒狼窟老師の言であった。」(334頁)

*毒狼窟老師=古川 尭道(ふるかわ ぎょうどう、明治5年11月9日(1872年12月8日) - 昭和36年(1961年))は、臨済宗の僧。出家後しばらくは本名の古川慧訓を通す。号は尭道。室名は毒狼窟。
釈宗演に学び、東慶寺初の男性住職として赴任、さらに円覚寺管長を務めた。渡米して布教し、帰国後再度管長に復帰。



(7)南直哉『語る禅僧』

「師匠とは、何かの『真理』を振り回し、弟子を『洗脳』して支配する人のことではなく、弟子がテクニックを修得し、独り立ちするのを助ける人なのである。そして弟子は、師匠に服従する人ではなく、師匠から独り立ちすることで、師匠の「恩」に報いるべき人なのだ。(略)

親鳥がエサを口に入れてくれるのを待つ雛であってはならない。飛び方を学んで、エサを自分で取れるようになるべきなのだ。われわれに必要な教えとは、そういうものなのである。」(78頁)



(8)ネルケ無方「ネルケ無方師インタビュー さようなら安泰寺[前編]」サンガジャパン33号

「私の経験から言うと、師匠のもとに集まるのは、師匠のコピペみたいな弟子と、師匠と真反対のタイプの弟子ですね。

コピペの弟子は面白くないですよ。本物がいるわけですから。たとえば安泰寺の五代目の住職の澤木興道老師のもとにはプチ澤木老師みたいな弟子が大勢いましたが、そういうのは全然面白くないですね。内山興正老師は澤木老師と全然違うタイプだから面白いのです。」(127頁)



(9)伊吹敦『禅の歴史』

「(唐代に)『語録』が盛行した背景として、禅僧が互いに自由に交流を行ない、問答商量が極めて盛んであったという状況があったことは忘れてはならない。当時は、修行者が「悟り」を目指して各地の禅匠の間を渡り歩いて修行を通という修行形態が確立されていたのである。」(68頁)

「唐代には師資の関係は必ずしも固定的ではなかった。修行者は各地を遍参し、幾人もの禅匠に学んで啓発を受けたのであるが、印可を受けた後も遍参を続ける場合は多く、師と弟子との間で師弟関係の認識を異にする場合も存在した。」(77頁)



(10)石井清純『禅問答入門』

「仏法の本質を他者に問うということは、問う相手が自分の師匠であったとしても、本来自分で探し出すべき自分の本質を他人に聞いていることになって、質問した時点で、すでに禅の本質からはずれていることになります。」(20頁)





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