坐禅普及

主旨は慈悲。行は坐禅。

坐禅において呼吸回数を減らすべき科学的根拠

 坐禅のときには、呼吸回数を減らす、すなわち、呼吸を長く、ゆっくりとすることが推奨されることが多いですが、このことは、科学的にも正しいようです。

 坐禅等の瞑想をすると脳の「扁桃体」の活動が低下することがわかっています。

 扁桃体の機能は、次のようなものであるとされます。

扁桃体というのは(略)視覚や聴覚等の様々な感覚刺激(つまり、ストレス)によるストレス反応を制御しているということになる。(略)
 感覚情報というストレスによって扁桃体が過活動状態となると、様々なストレス反応が生じることになる。」
(塩入俊樹(シオイリ トシキ)岐阜大学医学系研究科 医科学専攻 神経統御学講座 精神病理学分野 教授)「パニック症」(2014年7月10日)
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%83%91%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E7%97%87

 扁桃体の活動を低下させる要因は、坐禅の要素のうち、ゆっくりとした呼吸をすることによるものではないかと思われます。

「呼吸数が上昇する部位と不安や恐怖に関連した部位は同じ偏桃体です。この部位に入力されることにより呼吸が変化し、同時に不安も増加する。(中略)実際に予期不安の上昇している呼吸の際に随意的にゆっくりした呼吸をしてもらいました。すると不安感の軽減が認められました。(略)呼吸の回数を減らすことにより、賦活する偏桃体のリズムを緩和させる効果が得られるのではないでしょうか。」
(政岡ゆり「香り豊かに暮らすーー嗅覚・情動の脳内関連の視点からーー」『心身健康科学』5巻2号2009年63頁)

 機序としては、呼吸回数を減らすと、血中二酸化炭素濃度が上昇し、その結果、セロトニンが分泌され、セロトニンの作用により、扁桃体の活動が低下するためではないかと思われます。

「現在うつ病の薬として脳内のセロトニンを増やすという薬を使います。セロトニンは脳幹にある縫線核(ほうせんかく)というところの細胞が長い突起を伸ばし、その突起の先から出されます。とくに、感情の場である大脳辺縁系扁桃、海馬、帯状回)にセロトニンを出します。そうすると精神が安定するとされるのです。 
 呼吸を止めると苦しくなります。それは血中の二酸化炭素が脳の呼吸中枢を刺激するからです。そこで苦しくなり、息を吐き出し、早く呼吸をします。それは早く二酸化炭素を体の外に出そうとする反応です。またゆっくり呼吸すると血中の二酸化炭素の量がある程度増えます。だから少し苦しくなり、早く息をしたくなるのです。このような二酸化炭素は脳内でセロトニンを増やす効果をもつのです。つまり脳内の二酸化炭素が増えると脳内に多くのセロトニンが放出されるのです。」
高田明和『一日10分の坐禅入門――医者がすすめる禅のこころ』142~143頁)

 血中二酸化炭素濃度を上昇させ、セロトニンの分泌を促して、扁桃体の活動を低下させるために、私は、座禅の際には、まず、鼻から息を吐き切り、吐き切った後も、しばらく息を止めるような感じにして、苦しくなってから、自然と息を吸うというやり方でやっています。

 ちなみに、扁桃体の活動と精神疾患との間には、相関関係があります。

扁桃体は、不安や恐怖などの感情を感じた時に活動することが知られています。過度な不安や恐怖が症状であるうつ病、不安障害やPTSDといった精神疾患においては、扁桃体の活動が過剰であること知られています。反対に統合失調症自閉症に認められる感情や対人コミュニケーションの障害が扁桃体の活動の低下と関連していることも知られています。」
独立行政法人 放射線医学総合研究所分子イメージング研究センター 菅野 巖 センター長ほか「感情の中枢である扁桃体におけるドーパミンの役割を解明」https://www.jst.go.jp/pr/announce/20100224/index.html

 私の実感としては、私を含め坐禅等の仏教の瞑想をされる人には、うつ傾向の方が多いように思っています。
 そのような方にとっては、坐禅等により、扁桃体の活動を低下させると、適切な精神状態になりやすいように思われます。
 逆に、扁桃体の活動が低下しすぎると、今度は、統合失調症のような症状がでやすくなることから、やりすぎは避けるべきだということになるのではないかと思います。
 機序としては、セロトニンの分泌の前提として、血中二酸化炭素濃度が上昇し、これが過剰になると、酸素の欠乏により、脳の機能が異常を来たすためではないかと思われます。

 いわゆる「臨死体験」の生じる機序も、脳の酸素の欠乏であると云われます。

臨死体験は、何が原因で起きるのでしょうか?
 このような不思議な体験談の謎も脳のしくみで解くことができます。
 人間は心臓が止まるような瀕死の状態に陥ったとき、血流が止まり脳への酸素やグルコースの供給が止まってしまいます。そのとき脳は酸欠状態に陥り、暴走をはじめることがあるといいます。
 脳の活動電位が不規則に高まっていき、まったく関連のない信号を発し続けるのです。いわゆる脳がショートしてしまった状態になるわけです。そのために脈絡のない記憶が次々と現れてくるので、『子供のときの記憶や懐かしい故人が走馬灯のように現れた』と思い込むのだそうです。」
(新井公人監修『脳のナゾ』142~143頁)

 禅の見性体験をされた方の話を聞くと、「世界と自己とが一体化する感覚がした」などと言います。
 しかし、このような感覚は、統合失調症の症状と同じなのです。

統合失調症の症状としては(略)自分と外界の境界が曖昧になるために自我意識障害もみられる。これは、思考が他人に抜き取られる(思考奪取)、または吹き込まれる(思考注入)と観じたり、自分が誰かに操られている(作為体験)と確信したりする状況である。」(注1)
(杉原和明監修 渡邉映子 藤倉孝治編集『はじめて学ぶ人の臨床心理学』221頁)

坐禅を過度に行い、酸素が欠乏して、扁桃体の活動の低下が統合失調症と同程度まで行くような事態になったときに生ずる異常な現象が、いわゆる見性体験なのではないかなと思います。

 禅の実践をマニアックにやるようになると、夜座などをする人もいて、団体によっては、これが推奨されることもあるようです。
 しかし、脳の機能から考えると、この種の過度の実践は避けるべきなのではないか、と考えています。
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