坐禅普及

主旨は慈悲。行は坐禅。

2019-01-01から1年間の記事一覧

悩みながら少しずつよくしていくことについての補足

最近のテーマは、悩み、反省しながら少しずつ成長していくことなのだけれども、久しぶりに、鈴木俊隆『禅マインド ビギナーズ・マインド』を見返したら、同じ趣旨の記述が見つかりました。 「道元禅師は『將錯就錯』(しょう・しゃく・じゅ・しゃく)といわ…

【参考資料】煩悩即菩提

(1)釈宗演『坐禅和讃講話』「衆生其のまま佛陀、佛陀其の儘衆生ぢゃというので、迷即悟、悟即迷というので、生死即涅槃、涅槃即生死という味である。『般若経』の色即是空、空即是色と全く同じぢゃ。色法の当体其の儘空となり、真空其の儘山川国土の色相…

参考資料:禅の目的=衆生済度

(1)釈宗演『最後の一喝』 60頁 曹洞宗の開祖道元禅師の歌に 愚かなるわれは佛にならずとも 衆生度する僧の身なれば とある通り、利他の本願は仏教徒の等しく目的とする所であり、又実に尊い所以である。 もしそれ諸仏頂上の禅に至りては、小我は大我に…

素直に悩む

【素直に悩む】 ある人の相談を受けた。 その人は、アーティストを目指していて、個性的であろうとする一方、周囲との関係をぎすぎすさせてしまうのが嫌なので悩んでいるのだという。 悩みの内容自体は、ありがちな自己と他者との関係性の問題。 普通であれ…

禅が利他行為に行き着く理由

禅の実践を続けていると自然と利他行為に至る理由は色々あるように思う。 正直、私の場合は、自然とそのような衝動が生じたとしか言いようがない。元々それは、あったのだけれども、坐禅をしているうちに、はっきりと確信を持てるようになった。以前は、頭で…

【参考資料】禅の他力性

(1)秋月龍珉『誤解された仏教』「禅者が、みずから禅を『自力』と称するのは、私は禅者の誤りであると思う。『自力』の宗教などというものが、あるはずはない。真の宗教は、どこかで自我を否定するものでなければならない。釈尊の仏教は、はっきり『自我…

信じる力

元々「信じる」ということには警戒心強くありました。十代から二十代の初めにかけて、オウム真理教事件や法の華三法経事件などの新宗教、新々宗教の団体の起こす事件に報道を通して接したり、高校生の頃、同級生が日蓮正宗顕証会にはまり込み、近くの駅の公…

座禅中の雑念の放置に関する参考資料

(1)飯田欓隠『通俗禅学読本』 33頁 若しも坐禅中色々のこと思い起すことありとも、それはそれに任せて、只そのものそれに純一になればそれでよい。皆坐禅中の出来ごとであるから、坐(34頁)禅の分布である。この事南堂静禅師が委曲論及しておる。坐…

【参考資料】禅の日常性

1 鈴木大拙『禅仏教入門』 「神秘化などといったものは、およそ禅そのものの目的とはかけ離れたものであるのだが、生の根本事実に触れたこのない者にとっては、禅はどうしても神秘的としか映じないのである。」(8頁)「仏教は(略)超自然的な力を認めな…

参考資料「禅と向上」

【参考資料:禅と向上】 (1)釈宗演『快人快馬』184頁~186頁 「仏教では常に煩悩を排斥して悟を求めるという様なことを申すが、之を現実的に言って見ると、唯々古いものを捨て新しいものを取るという程のことで、(略)新陳代謝する、即ち我々が茲に…