坐禅普及

主旨は慈悲。行は坐禅。

釈宗演老師の見ていたもの

「わたしは宗演老師について一週間ばかりで見性(最初の公案が透ること)したですね。(略)入室(師匠の室に入って問答すること)すれば、公案はどんどん透る。それはゆるいもので、坐禅などは短いほうがいいと言って、三年ぐらいでどんどん上げてしまって、後は学問をやれ学問をやれというふうで、学問のできん者は目もかけんというようじゃった。(略)あんまり早悟りさしてくれるものだから、気にいらなかった。」

(加藤耕山発言。秋月龍珉・柳瀬有禅『坐禅に生きた古仏耕山 加藤耕山老師随聞記』21頁)



釈宗演老師の本を色々読み散らかしているのですが、読んでいて思うことは、禅や仏教以外のものにも開かれた記述をしているものが多いことです。

特に、禅海一瀾講話には、そのような記述が多い。



「凡そ真理には契合と特殊の二方面があるのである。仏の慈悲心、耶蘇の博愛皆な同じである。『観無量寿経』にある如く、『仏心とは大慈悲心是れ』で一言に尽して居る〔諸仏心者大慈悲是〕。また耶蘇教で、ゴッド・イズ・ラブ、ラブ・イズ・ゴッドというも同じ意味だ。宗教としての立場は同じである。」

(釈宗演『禅海一瀾講話』49頁)

「『吾が禅海、波瀾洪大、嫌う底の法無く、又た着するの底の法無し』
吾が『禅海』は『波瀾洪大』だから、何一つ嫌う底のことなし。仏も嫌わず、魔も嫌わず、天上界も嫌わず、同時に地獄界も嫌わず、また、一切の物を嫌わず、即ち清濁併せ呑むという有り様。そんならばと言って、同時にまたなにかに執着するかと言えばそうではない。どういうことがあっても、それに執着することがない。(略)

孔子教でも、老子教でも、皆な籠って居る。今ならば、耶蘇教でも、マホメット教でも、矢張り仏教の或る点にはその通りある。道理はこちらにあるから、皆兼て我が波瀾中にある。」

(釈宗演『禅海一瀾講話』298頁)

「蓋し大道を学ぶ者、大士の心を以て心と為さば、則ち其の差わざるに庶(ちか)からん

苟も『大道』を学ぼうと言えば、(略)傅大士(*古代中国の智者。仏教の袈裟、老子教の冠、儒教の沓を身に付けていたとされる)の心を以て我が心としたならば、稍や道に入ることが出来るだろう。中々人間という者はそいいう風にいけぬもので、初めから名に依って大いにそこを隔を為す。仏者は儒者を嫌い、儒者は仏者を嫌う。耶蘇教者は仏教者を嫌い、仏教者は耶蘇教舎を嫌う。名に依って初めから城壁を築いてくる。元来、仏が現れぬ前、耶蘇が生れざる以前、孔子の生れざる以前、老子の生れざる以前、その時には道がなかったかと言えばそうでもない。この道なるものは、神が生んだのでも仏が生んだのでもない。『大道』というものは昔から存在して居る。無限の時間に亘る無限の空間に渉って居る。けれども多くは直ちに名に捕らわれて仕舞う。

(釈宗演『禅海一瀾講話』301頁)

※傅大士=古代中国の智者。仏教の袈裟、老子教の冠、儒教の沓を身に付けていたとされる


あらゆる宗教、キリスト教イスラム教ですらも、同根であり、嫌うものではないとしてしまう。

分別を虚構とする禅門として気持ちのよいものです。

とはいえ、横田南嶺老師は、キリスト教に対する好意的な評価が釈宗演老師とその師である今北洪川老師との顕著な相違であるとおっしゃいます。

 

「驚くべきことは、洪川老師にとっては、『天、仏、性、明徳、菩提、至誠、真如』というようにすべて仏教や儒教の言葉で表現されていたものが、宗演老師に至っては、キリスト教の『ゴッド』という言葉まで出ていることである。

鈴木大拙がその著『激動期明治の高僧今北洪川』(『新版鈴木大拙禅選集』10、一九九二年、春秋社)において、当時の仏教者がキリスト教邪教としていて、(略)洪川老師にとっては、神儒仏の一致は説いても、キリスト教までは念頭になかったと思われる。

しかし宗演老師は、若くして慶應義塾に学んで、当時の最先端の学問に触れ、またシカゴの万国宗教会議に参加して、そこで世界の宗教者に接して、従来の仏教者の半期リストの立場から大きく変革されている。もはや、キリスト教と相対していては、真の平和の実現は期しがたいと思われたのではないかと察する。(略)

洪川老師の説く日本国内における神儒仏の一致から、宗演老師は広く世界におけるキリスト教も含めた神儒仏の一致を説いておられるのである。」

横田南嶺「[解説]今北洪川老師と釈宗演老師――『禅海一瀾』をめぐって――」釈宗演『禅海一瀾講話』〔岩波文庫版〕730~731頁)



釈宗演老師のキリスト教への理解は、次のようなところにも見られます。



「大体に於て、人の心は赤心(せきしん)であります。物に対して誰が命令するかは分らないが、自然に同情の心が起る。此心が即ち慈悲であります。宗教の方から眺めて見ますると、世界は広い、人類は多い、宗教も亦従って一つでなく、種々(いろいろ)の宗教があると雖も、世に臨む所以は皆一つである。宗教と云うものを、若し一つの学問的に説明するならば、彼の宗教と此宗教とは、其成り立ち、其歴史、其状態などが異なって居るのでありますから、到底相一致することは能(で)きないのでありますが、若し其宗教の由って起る所以、其本来の精神からいえば、佛教、基督教、儒教神道、乃至回々教(ふいふいきょう)も、恐く約束せずして一致する点が必ずあろうと思います。斯くの如く符節を合するが如くになって居るのは洵に頼母しい訳で、真理は古も今も変って居ない。東でも西でも異なって居らぬと云うのは、吾々が頼みとする所であります。之れを仏教で言えば、佛心とは大慈悲是れなりで、結局此大慈悲に外ならぬのであります。又基督教で言っても、同じこと、愛と言い、loveと云い、皆是れであります。」

(釈宗演「禅学大衆講話」『釈宗演全集第一巻』322~323頁)



釈宗演老師は、仏教、キリスト教儒教神道イスラム教等の宗教に共通する原理として、「慈悲」を強調します。

そして、仏教の本質自体が「慈悲」であるとします。



「仏教は慈悲を以て主旨とする」

(釈宗演『一字不説』2頁)



釈宗演老師が、仏教の本質、宗教の共通の要素として、「慈悲」という観点を重視された理由は、やはり、シカゴでの万国宗教会議に出席されたことが大きいように思います。



「洪岳自身が残した原稿にも大会中に生じた一種の意識の変化(または戦略の転換)の痕跡が読み取れる。つまり彼が大会の多くの演説の中で使われてきた用語やキャッチフレーズを早速吸収して、それがあたかも自分のうちから沸いてきたかのように、『真理は一なり』『相愛主義』『博愛主義』を唱えるように至ったことである。」

(ミシェル・モール「近代「禅思想」の形成――洪岳宗演と鈴木大拙の役割を中心にーー」49頁) 



「一」の「真理」が「慈悲」ということになります。



「相愛の春光とは、真正の宗教なり。宗教は善美の源泉なり。慈悲の根源なり。」

(釈宗演の演説原稿・ミシェル・モール「近代「禅思想」の形成――洪岳宗演と鈴木大拙の役割を中心に――」50頁)



国宗教大会に出席し、キリスト教等他の宗教の関係者と意見交換をする中で、禅や仏教の枠組を超えた普遍的な事柄を捉えようと努められたのではないかと思います



では、具体的に「慈悲」とは、どのようなものなのか。



布教を意味するという考え方も強いようです。



「『慈悲』は感情であるとともに実践でもあるはずである。ではその実践は具体的にはどのような形態をとるのか。これについては、教えを説くことが最大の慈悲実践であるという考えが強いようであり、通常の意味での実践活動はあまり顕著ではない。

三枝氏は、若干のすぐれた僧侶(たとえば忍性)がめざましい実践活動を行ってきたことを挙げながら、こう指摘する。『しかし仏教教団そのものが、このような実践活動を全面的に組織することも後援することも、一切ありませんでした。それはひとり特定の個人の献身活動のみに委ねられたために、その諸業績は継続性に欠け、一時代の一現象に終わってしまいました。』」

(仲島 陽一「仏教の「慈悲」と共感について」『国際地域学研究第2号』107~108頁)
 


しかし、釈宗演老師は、布教ということではなく、日常の具体的な労働を重視します。



「今日々々を積み重ねて往くのが人間の一生(略)。筆持つ人ならば、筆を持った儘瞑目してそれで可い。(略)算盤弾く人ならば、算盤弾きながら、息を引き取っても、それが本願であろうと思う。ところが切めて死ぬ時ばかりは、坐禅でも組んだまま(略)、立派な死ざまをして、息を引き取ってみたいというような考えでいる者もあります。(略)どちらかと言えば迂闊な考えと言わなければならぬ。人間というものは、自己の職分と共に斃れたら、それで立派なものである。(略)朝から晩まで、孜々矻々として奮闘努力し、向上して止まぬ精神を有(も)っているならば、(略)病気に取り付かれ、七転八倒逆立ちに為って死んだとて別に何の残り惜しいこともない訳であります。」

(釈宗演「禅学大衆講話」『釈宗演全集第一巻』422~423頁)



元々四摂法や六波羅蜜においても、具体的な利他の行為は、仏道修行上重要とされるのですが、釈宗演老師は、それが人間の生きる目的それ自体であるとまで言うのです。



これも、万国宗教会議に出席し、キリスト教の指導的立場にある人たちと接したことが影響しているのかなとも思うのですが、どうでしょう。



「最後に軽く触れたいのは、私が好んで日本仏教徒の『悪い癖』と言うことです。正直に言って、私はそれを聞くたびに、少し憤慨します。すなわち、利他の話をするときに日本の仏教徒が、ほとんど例外なしに、利他を教化と同一視するということです。そうすると、慈悲の範囲は霊的なものに限られてしまうわけです。仏教には一体人間の物体的ニーズに対する慈悲は存在していないのか。」

(ヤンヴアンブラフト 「仏教とキリスト教田辺元先生」9~10頁)



以前にも、引用しましたが、もしかしたら、釈宗演老師も、キリスト教徒の実践の話を聴いて思うところがあったのかも知れません。



このような労働の重視は、その弟子である釈宗活老師にも引き継がれているようです。



「禅の目的は畢竟如何と云えば、上求菩提下化衆生に外ならぬのぢゃ、(略)之れを措て外に佛教は無いのである、僧俗を問わず、男女を論せず、此の目的を達せんが為めに大乗仏教の道に入るのぢゃ。修禅の必要を感ずるので、例えば遊泳の術を学ぶのも、己れ自身一箇の溺れを救わんが為めのみには非ず。他人の溺るるものあらば、直ちに之を救うことの出来得るように準備し置くので、自利利他両(ふたつ)ながら兼ねてあるのぢゃ、斯う云うと、否吾々は在俗であるものを、下化衆生などと云う必要はないと、云う者があるかも知れぬが、夫れは飛んだ心得違いぢゃ、下化衆生と云うても、経を読んだり、法話を為したりする許りが、衆生済度でない、大乗仏教を修したら、修し得た丈けの得力を、直に仁義道中の上に用いて、士は士として、農は農として、工は工として、商は商として働かすので、(略)是れ皆大乗門中の説法というものぢゃ。」

(釈宗活『悟道の妙味』5~7頁)



釈宗演老師は、更にこのような労働が「悟り」であるとも言います。



「衲(わし)一己の考から言うと、死の覚悟と言う外に別に覚悟はないであろうと思う、我々が日々夜々其境に臨み其事に接し、其時々々、其日々々感謝の念に往して愉快に送っていくのが、それが衲の安心である。(略)
 
息を引取る時迄各々其日々々の務をして、スーと息を引取ったらそれで早や本望である。大悟徹底も即ちそれであると思って居る。」

(釈宗演『快人快馬』181~183頁)



ここでいう「努め」というものがどのようなものかも問題となります。

すなわち、禅の修行をしたことによりなし得ることが可能となった特別な労働という意味かも知れないと捉える方もいるかもしれません。

しかし、釈宗演老師は、先の引用でも見たように、それぞれの職分に応じた労働が人生の目的であるというお話もされますし、次の引用からも、それが何か特別な修行を通してなし得るものだというとらえ方をしていないことがわかります。



「信ずると言うことを二つに分けますると、まあ斯う言うものであろうと思う。解信(かいしん)と仰心(こうしん)の此二つである。(略)

智的要求に応ずるには、聖道門、情的要求に応ずるには浄土門であって、解心は乃ち聖道門に属し、仰信は乃ち浄土門に属するものであります。そこで解信に於てはどうしても多少理屈の説明をしなければならぬが、仰信となると読んで字の如く、仰いで信ずるのであって、初めから神ありと信じ、佛ありと信ずるのであります。(略)

仰信の方になりますと『何事のおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる』で其の中に真理があります。純粋の信はこれで宜しく、何(な)にか分(わか)らぬが、唯有難さに涙こぼする。此一の信仰がありますならば、毎日々々感謝の念を捧げて仕事をする事が能(で)きようと思います。即ち命令を受けたのでなく、我が仕事は我が自身の天分として、働くということになります。そうすると日々夜々働いて居る仕事も、有難涙がこぼるる感謝の念を有(も)ちて、倦むことなく、今日を渡ることが能(で)きようと思います。

(釈宗演「禅学大衆講話」『釈宗演全集第一巻』122~131頁)



先の引用では、「感謝」して「日々の務」を果たすことを「大悟徹底」としていたところ、「神ありと信じ、佛ありと信ずる」だけで、「感謝の念を捧げて仕事をする事」ができるというのです。

ここまでくると、禅の修行の独自の意味というのは、どこにあることになるのでしょうか。



私が考えていることは、釈宗演老師は、実際には、臨済禅の修行のプロパーとされるものを重視しておらず、利他行為としての利他行を重視する方向にシフトしようとしていたのではないかということです。

そうすると、冒頭に引用した加藤耕山老師の話も分かりやすいのではないかと思うのです。



「わたしは宗演老師について一週間ばかりで見性(最初の公案が透ること)したですね。(略)入室(師匠の室に入って問答すること)すれば、公案はどんどん透る。それはゆるいもので、坐禅などは短いほうがいいと言って、三年ぐらいでどんどん上げてしまって、後は学問をやれ学問をやれというふうで、学問のできん者は目もかけんというようじゃった。(略)あんまり早悟りさしてくれるものだから、気にいらなかった。」



通常、臨済禅の修行といえば、参禅における師家の厳しい接説と、長時間のやはり厳しい坐禅とが強調されます。



「見解の出し方によって老師は学人を口汚く雑言罵倒ししばしば素手でぶんなぐるか、竹篦を振るいます。臨済家ではこの室内を「法戦場」というだけに、それは雲衲にとって全く恐ろしい場面があります。」

(西村恵信「済家の風」『禅研究所紀要第18・19号』72頁

「真剣に坐り抜いている人がいました。夜中真っ暗の禅堂で蒲団一枚にくるまって寝ていますが、夜明け近くになるとしんしんと寒気が身をついてふと眼を覚すと、向う側の単に一晩中坐り込んでいる人の影が見えることがありました。」

(前掲73頁)



しかし、釈宗演老師の下の修行では、「公案はどんどん透る。それはゆるいもので、坐禅などは短いほうがいい」というものだったのです。

その理由は何なのか。

臨済禅の修行体系の実質的な効果に対し、思うところがあったのかも知れません。



臨済禅の修行は最終的には、社会において、菩薩の理想を実現する者を生み出すことが目的といってよいでしょう。

これも以前に引用しましたが……。



「禅堂生活は、空の真理が直覚的に把握せらるる時に終了すると考えられるばかりでなく、この真理が、あまたの試練・義務・紛争に満ちた実際生活のすべての方面において実証せらる時、そしてまた雨が悪者善者のわかちなくこれにひとしく降り注ぎ、あるいは趙州のの石橋が馬・驢・虎・豺(さい)・亀・兎・人間などのすべてのものを渡すと同じしかたにて、大慈悲(karuna)の心を生ずる時に、終了すると考えられる。これこそは人が地上において成就しうる最大の修養である。そしてこれを何人もよくなしうるものではない。しかしながら、われわれが全力を尽して菩薩の理想接近しようとするぶんには、何らの害はない。もし一生にして足らずとするならば、千万劫の未来世に望みをかけてもよかろう。かかる理想のあるものを確固として会得する時、僧は禅堂を辞去し(略)、世界という大社会の一員として、その仲間の中に投じ、実際生活を始める。」

鈴木大拙鈴木大拙禅選集6 禅堂の修行と生活 禅の世界』157頁)



しかし、このような人を実際にどの程度生み出せるものなのか。



「正直に告白すると、著者は公案禅というものに対して深い疑いをもった時代がある。それは、公案体系に参じて大事了畢したと称する者について、その行裏(あんり)(行ないの後)を見ると、そこにやはり煩悩の習気(じっけ)(残り香)が、自我の分別が、明らかに見て取れるからである。そこには、いみじくも外国の好人が言ったように、「鼻もちならぬ禅臭」があって、「無我」であるはずの仏道を「大我禅」に落としてしまっている。(略)

公案だけでははたして本当に禅的人格が練出されるのだろうか。世のいわゆる大事了畢底なる人々を見て、私はそうした深い疑いを抱いた。」

(秋月龍珉『公案』333~334頁)



実際に、釈宗演老師も同じようなことを感じることがあったのではないのでしょうか。

そもそも、伝法自体、言葉によっても可能ですし、坐禅の重視や、現在の日本臨済宗系の公案の独参は特殊日本的というべきものであり、必然的なものだとは思われません。



「室町の中期になると、五山をはじめとして京都や鎌倉の名刹では、参禅がほとんど行われなくなった。そのため、開悟の体験を根本とする印証による嗣法はあり得ず、寺を承け継ぐことが嗣法であるとする、いわゆる伽藍法系の嗣法が一般化した。一方、地方の林下では、まだ遍参(へんざん)が行われており、印証による付法も存在したが、その内容は次第に変遷していった。公案の解釈が密教や古今伝授(こきんでんじゅ)などの切紙相承(きりがみそうじょう)の影響を受けて口伝法門化し、口訣の伝授を付法、嗣法とする風潮が生じたのである(こうした禅を「密参禅」、伝授内容を記したものを「密参録」と称している)。密参禅は時とともにいよいよ盛んとなり、臨済宗も林下の禅は全て密参禅となって、ついには五山などにも入り込んでいった(曹洞宗の密参化は、下野〈栃木県〉の大中寺の開山である快庵妙慶(1422―1493)以降、甚だしくなったとされる)。」

(伊吹敦『禅の歴史』243頁)

「『臨済録』を読んでみると、坐禅については一言も言っていないし、公案についても言ってはおらない。そこでは人間の実存の根拠というか、人間の真の自由とは何か、ということを追究しているのである。」

(鎌田茂雄「禅思想の形成と展開」72頁)



坐禅の修行によって得られることもある「見性」、すなわち、自他不二の体感などというものも、坐禅による呼吸回数の減少→血中二酸化炭素濃度の低下→扁桃体の活動の低下という生理的変化の過剰の産物である、統合失調症の自我障害が一時的にもたらされた異常心理にすぎません。

それが人格を保証するものではありません。

翻ってみれば、世の中には、禅の修行などしなくても人体的に優れている人、利他のために働く人はたくさんいるのです。

そうであるなら、生死事大無常迅速です。

禅の修行に使っている時間を利他行為に使う方が効率的です。

何より大乗仏教の修行である六波羅密の第一位は「布施」なのですから、利他行は、菩薩としての具体的な行為でもある修証一如の端的を示すものです。



釈宗演老師は、万国宗教会議に参加し、「慈悲」の普遍性に問題意識を持つと同時に、臨済禅の修行に疑問を感じ、何らかの変革を考えていたのではないか、その変革の資とするために、学人に広く学ぶことを奨励していたのではないか……と妄想するのですが、どのようなものでしょうか。

【参考】
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【参考資料】坐禅修行の非本質性 - 坐禅普及
個人の人生の充足と、他者=世界の調和との一致点としての「慈悲」 - 坐禅普及







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