「衆生本来佛也」なら、なぜ、禅の修行をするのか?
「以前、私が禅を修行しなくては、佛道の真実はわからないとだけ説いていた頃、郷里へ帰り親戚や友達の親しい人々をまじえた聴衆を相手に、説教をしましたら、年老いた従兄が、佛道のありがたいことはわかったが、私等にはそうした修行はとてもできない。本当のことはわからずに死ぬのかな、となげきました。私はこれが淋しくもあり、悲しくもありました。後に私はいま説くように、修行しなくても、本来佛心の中にいるのだから、死後も絶対安心してよいと、はっきり言い切る信念に達しました。」
(朝比奈宗源『佛心』39~40頁)
一つ前のブログにも、この言葉を取り上げました。
宗源老師のこの本は、1年程以上前に神田の古書店で求め、一通り読み、そのときの印象は「古い仏教臭いことが書いてある」程度のことしが印象に残っていませんでした。
最近、読み返したところ、当時なかった味わいを感じました。
その中でも、特に、味わい深いものがこの言葉です。
以前、目を通したときには通り過ぎていて、実は、先の記事を書いたときも通り過ぎてしまったのですが、先の記事を書いた後に改めて見返してみると、次のような道元禅師の逸話の趣旨がこれなのかなという感じがしました。
「(道元の疑問は)われわれは本来仏性をそなえ、その本性は清浄であるのに、なにゆえ三世の諸仏は発心して悟りを求める必要があるのかというのである。(略)栄西の答えは、三世の諸仏などはいない、ただの狸や狐がいるだけだ、というのである。」
(玉城康四郎『仏教の根底にあるもの』149~150頁)
「狸や狐がいるだけ」なのに、なぜ、禅の修行をする必要があるのか。
それに対する踏み込んだ答えが、宗源老師の言葉になるのかなと思います。
すなわち、迷えるほかの人に対し、「三世の諸仏などはいない、ただの狸や狐がいるだけ」なのだとはっきり言い切るため、「修行しなくても、本来佛心の中にいるのだから、死後も絶対安心してよいと、はっきり言い切る」ためです。
自己の安心を得るためなら、禅の修行などはいりません。
なぜなら、別に修行などしなくても安心は約束されているからです。
そうすると、なぜ、修行をするのかといえば、ほかの人にそれを言い切ってやって、面倒くさい修行などはいらないと安心させてやり、日常の有益な仕事などに邁進してもらうということになるでしょう。
そのためには、修行をやり抜いて、やり抜いて、やり抜かなければ、説得力がありません。
「『臨済録』から『無門関』『碧巌録』そして『大燈百二十則』――全部暗記させられました。覚えていないと火箸で叩かれました。
ところがですね、実はこれが役に立たない。(略)
(大津)櫪堂師は、私がすべて暗記したものを全部剥ぎ取る。真裸にする。今まで一所懸命に身に付けてきたものを全部剥ぎ取る。(略)
『公案』でやられる。徹底的にやられる。(略)『公案』を拈提し、答を出す。しかし答はないんです。
それで精神的に追い込まれる。何を言ってもダメ、それなら何を言うんだ、と。全部ダメ。もう取り付く島がない。それは苦しいです。この苦しさは殴られる痛さの比ではありません。どうしていいかわからなくなるのですから。(略)
最後の方で解るんですが、実は『公案』なんてどうでもよかった。(略)
『公案』の正解が出ようと出まいと、間違っていようと、そんなことはどうでもいいことなんです。その『どうでもいい』という所までゆかないといけない。」
(有馬賴底『『臨済録』を読む』20~24頁)
公案もここまで徹底的にやらないと、こんなものは「どうでもいい」ものだということをほかの人に自信を持って言ってやることが出来ない。
ほかの人が修行をしなくても済むようにするためにやるものが禅の修行の本質なのかなと思うようになりました。
そう考えると、禅が大乗仏教であるということがより鮮明になり、かつ、「衆生本来佛也」と「修行」との整合性が取れるように思います。
「四弘誓願は、『衆生無辺誓願度』で始まり、それから『煩悩無盡誓願断』へ移って行く。(略)煩悩を断ぜんというも、法門を学ばんというも、悉く衆生を済度せんとの本願から出るのである。(略)
隻手の声をきくのも、本来の面目を見るのも無字を悟るのも、畢竟するに知的方面の話ではなくて、実にこの本願の真実相に徹底せんためである。(略)
この本願力の発動を感得しなければ、千七百則の公案も皆虚言にすぎぬ。
あるいはいう、いくら『衆生無辺誓願度』でも自救不了(じくふりょう)では仕方があるまい、されば何よりまず煩悩を断じ法門を学ぶべきであろうと。これは一寸もっとものように聞こゆるけれども、そうではない。ただ自ら満足するために断煩悩するのは小乗である、ただこの世を苦と感じて涅槃の無余に入らんというは菩薩ではない。(略)
この覚醒の伴わぬ修行は魔の修行である。禅者が往々にして破戒無慚の徒となってしまったり、知解的公案解釈者と転じ去りたりするのも、最初の動機において一歩を踏み外したからである。」
(鈴木大拙『百醜千拙』93~95頁)
この辺りのお話はすごくよいですね。とはいえ、大拙先生は、在家への布教についても力を入れていましたから、宗源老師ほどの肚ではないのかもしれません。
次の森本省念老師の口癖とされる言葉の方が鋭いですか。
「宗教だけではなく、なんでもその人の名を聞いただけで助かるようになるのが極意である」
(半頭大雅「吾が師森本省念老師を偲ぶ」山田邦男編『森本省念老師〈下回想篇〉』59頁)
こう考えると、明治期以降の在家への「禅の修行」の布教というものが、非生産的活動として徒労に終わるかもしれないことをやらせるという意味でも、そもそも問題であったのではないかという気がします。
布教すべきことは、「禅の修行」それ自体ではなく、「禅の修行などする必要はない。安心は約束されているのだ。」ということだったのでしょう。
これを踏まえると、大平洋戦争後、出家者の禅宗教団が在家に対する「禅の修行」の布教に消極的になったことや、宗源老師の次のような禅の修行をさせるのは極く小数の弟子としながら、在家への布教は広く行うという考え方も理解しやすいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
「むかしから禅では、その修行の純粋さをたもつために、真実に修行するものはそう多くあるものではないから、一人でも半人でも真実の修行をするものを目当てにして、決して多くの弟子を得ようとするなと、きびしく戒めております。禅の本領とする宗旨を、あやまりなく後世に伝えようとするには、これは当然まもられなければならないところで、その用心の必要さは今もかわりはありません。
しかし、その一面、“草の庵にたちいてもいのること、われよりさきに人をわたさん”と道元禅師がうたわれましたように、一人でも多くの人に正しい教えを伝え、安心を与えてあげたという願いは、衆生はかぎりないが誓って済度したいという、四弘誓願の第一の精神で、また佛教徒の夢にも忘れてはならないところです。」
(朝比奈宗源『佛心』1頁)
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