【参考資料】坐禅修行の非本質性
先日、臨済宗系の勉強会に参加したところ、久参の方から、坐禅をしなくても、見性することはあるのかといった質問が講師の方に対してされる場面を目にしました。
そもそも見性やら悟りやらにこだわるのもどうかと思うのですが、見性や悟りという観点からも、それらにこだわらず広く仏道という観点からも、坐禅にはこだわる必要がないということは教養としてあってもよいと思われます。
私自身、坐禅から、相対の次元でよい効果が得られました。
ですから、習慣的に続けています。
けれども、あまり坐禅にこだわりすぎると、却って、妄想から離れ現実に向き合うことにつながる坐禅が、妄想の上塗りをすることになり本末転倒です。
執着しないことは、坐禅それ自体にも適用する必要があると思います。
1 釈宗演「禅学大衆講話」『釈宗演全集第一巻』
「大慈悲を有(も)ってあれば、誰れでも(略)、立派な佛であります。(略)慈悲心のある所は、佛のある所、慈悲心と、佛と意味は共通しています。(略)
『佛心とは大慈悲心是れなり。』というところへ来ては、悟りといい、理屈というようなものは入要(いりよう)ありませぬ。」(217~218頁)
「仰信の方(*浄土門のこと)になりますと『何事のおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる』で其の中に真理があります。純粋の信はこれで宜しく、何(な)にか分(わか)らぬが、唯有難さに涙こぼする。此一の信仰がありますならば、毎日々々感謝の念を捧げて仕事をする事が能(で)きようと思います。即ち命令を受けたのでなく、我が仕事は我が自身の天分として、働くということになります。そうすると日々夜々働いて居る仕事も、有難涙がこぼるる感謝の念を有(も)ちて、倦むことなく、今日を渡ることが能(で)きようと思います。」(122~131頁)
*「感謝」して、「仕事をする」ことが、禅門での「大悟徹底」でもあります。
「衲(わし)一己の考から言うと、死の覚悟と言う外に別に覚悟はないであろうと思う、我々が日々夜々其境に臨み其事に接し、其時々々、其日々々感謝の念に住して愉快に送っていくのが、それが衲の安心である。(略)
只息を引取る時迄各々其日々々の務をして、スーと息を引取ったらそれで早や本望である。大悟徹底も即ちそれであると思って居る。」(釈宗演『快人快馬』181~183頁)
2 菅原時保『碧巌録講演(其二)』
「一切の学問、総ての技芸、何れも実際の生活に何等かの為にならねば、学問の為の学問、技芸の為の技芸で、一種の遊戯、一種の仮装、寧ろ世に於て功なく還って有害であります。然るに禅は、心の外に学問と云う紅粉を塗るでなし、技芸と云う衣服を飾るでなし、天然のまま自然のままの本心本性、それを、そのまま今日の上に横拈倒用するのであります。故に故人の所謂、処々真、処々真、随処に主となり、――箇々転処に立在す、と云う、それを事々物々上に於て実践躬行(*)する、それが真箇の正禅であります。真箇の正禅は世縁に随順して決して世縁と相違したり違反したり致しません。若し萬一、萬々一、世の中の実生活に違反したり、相違したりする様なことがあれば、それは、未だ正禅の堂奥に登らざるお人の夢路であります。――苟も正禅の堂奥に到達された御人であるならば、水に入っては水に同じく、火に入っては火に同じでなければなりません。真箇世縁に随順することが出来ますれば、坐禅をなさらなくとも、禅書を御覧になさらずとも、禅の提唱をお聞きになさらずとも、それで完全の正禅者であります。」(60~62頁)
*じっせんきゅうこう。自分で実際に行動すること
3 有馬賴底『無の道を生きる――禅の辻説法』
「私たち禅僧の場合は、日々のお勤めをしたり、坐禅をしたりという修行をして、今しているそのことだけに「集中」をする、そうしたらほかのことは何もない。ただ経を読む、ただ坐禅をする、それだけなんです。それが純粋ということです。(略)
ことさら禅の修行なんてしなくたって、日常、これすなわち、体験であり、修行になりうるわけです。
そうした体験を通して、知ったことを全部、自分に受け入れるんですね。」(21~22頁)
4 石井清純『禅問答入門』
「慧能にとっての実践は、坐禅ではなく米つきでした。しかもそれは、まだ出家する前のことだったのです。これによって、禅の修行は、「坐禅」だけでなく、日常生活一般へと開放されていくことになります。」(51~52頁)
5 伊吹威『禅の歴史』
「神会(*)は『菩提達磨南宗定是非論』において次のように述べている。
今、私が「違う」と言ったのは、神秀禅師が「心を凝らして定に入り、心の働きを止めて清らかな世界を見よ。心を働かせて外界を認識し、心を収めて内に悟れ」と教えているからにほかならない。……このような教えは、愚者のために説かれたものである。……だから、経典に「心が内にも、外にもないのが、宴坐である」と言うのだ。このように坐禅するなら、仏はお認めになるであろう。今まで、六代の祖師で、「心をこらして定に入り、心の動きを止めて清らかな世界を身よ。心を働かせて外界を認識し、心を収めて内に悟れ」などと説いた人は一人もいない
また、『南陽和上頓教解脱禅門直了性壇語』には、次のような主張も見られる(略)。
諸君!どんな善悪も全て考えてはいけない。心を凝らしたり、心を止めたりしてはいけない。心によって心を見ようなどとしてはいけない。見ることに囚われだしたらだめだし、視線を落としてうつむくなら、視線に囚われるから、やはりだめである。心を収めようとしてはいけないし、遠くや近くを見たりしてもいけない。それではだめなのだ。経典に言うではないか、「見ないということが菩提である。憶念がないがゆえに」と。これこそが、静寂なる自性心なのである。
恐らく、彼には、種々の工夫に基づく北宗禅の修行が回りくどいものに見え、それがもどかしくて仕方なかったに違いない。そこから『菩提達摩南宗定是非論』に見られる、次のような独自な「坐禅」の理解も生まれてきたのである。(略)
和尚が答えられた、「もし坐禅の仕方を教え、《心を凝らして定に入り、心を止めて滑らかな世界を見よ。心を働かせて外界を認識し、心を収めて内に悟れ》などと言うのであれば、菩提を得る妨げになるだけである。私の言う《坐禅》とは、思念を起こさないこと、それが《坐》なので、本性を見ること、それが《禅》なのである。だから、私は、坐禅の方法を説明したり、《心の動きを止めて禅定に入れ》などと言ったりしあにのである。もし、彼等の言うことが正しいのであれば、サーリブッダ(舎利弗)が坐禅していたのをヴィマラキールティ(維摩詰)が叱ったりするはずがないではないか!
これは実質的に坐禅修行の意義を否定したものというべきであり、神会の思想の特色を最も鮮明に示すものといえる。」(42頁)
*荷沢神会=六祖慧能の弟子。現在の禅宗は神会の系列に属することになる。
「神会は、坐禅という修行法の意義を、少なくとも思想の上では完全に否定してしまったので、彼の著作には、このような心理的描写は全く見られず、また、修行上の工夫も否定するに至ったのである。(略)
神会は、普寂の一派に見られた極度に内面的な性格を批判する過程で、「頓悟」をことさらに強調し、遂には修行の持つ実質的な意義そのものを否定してしまったのである。これは、それ以前の「頓悟」説が、心理上の事実に基づく主張であったのに対して、それから、そのような基盤を投げ捨ててしまい、それを一気に「煩悩即菩提」という認識の問題へと転換したものといえよう。」(44頁)
「特に注目されるのは、(宗蜜の伝えるところによると)彼らがほとんど一切の仏事や修行を行わなかったということである。これは、荷沢宗において「頓悟」を「煩悩即菩提」という認識の問題に還元し、坐禅などの実践の占める位置を思想的に無化してしまった流れを承け継ぎ、それを徹底させるとともに、それをそのまま実践に移行させたものと言うことができるであろう。」(50)
6 小川隆「坐禅して人が仏になるならば」『神会 敦煌文献と初期の禅宗史』付録
「博多の(略)仙厓義梵に「坐禅蛙」と称される一枚の絵がある(略)。
その絵には仙厓自身の次の賛が書き付けられている。
ーー坐禅して人が仏になるならば 厓
(略)いろいろな意に解することができるだろう。(略)
だが、いずれにせよ、ここで坐禅の継続によって成仏に至るという伝統的な修禅主義が否定されていることは間違いない。禅宗といえば、坐禅によって悟りを目指す宗派、などと国語辞典には書いてある。しかし中国の禅の語録を読んでゆくと、実際には、坐禅の解体と日常の営為の肯定こそがむしろ禅思想の基調であったことに気づかされる。そこには、何人にも完全なる本来性が具わっていて、その本来性ゆえに人はそのままで仏と同質なのだという前提がある。」
7 鎌田茂雄「禅思想の形成と展開」
「『臨済録』を読んでみると、坐禅については一言も言っていないし、公案についても言ってはおらない。そこでは人間の実存の根拠というか、人間の真の自由とは何か、ということを追究しているのである。」(72頁)
8 境野勝悟「道元「禅」の言葉
「仏道修行は、何も、坐禅をくむだけではない。坐禅が嫌いな人だっている。坐禅がいやな人は仏道修行ができないのか。とんでもない。坐禅をしようがしまいが、仏道修行というのは、「人のため」に尽力して生活することなのである。なぜであろうか。「人のため」に努力しているときこそ、わたくしたちは、だれもが宇宙と一緒に生きているときだから……。そのときこそ「無我」だ。「仏」だ。」(191頁)
9 末木文美士『日本仏教史』
「(聖徳)太子の思想ということになれば、ここでどうしても『三経義疏』について触れなければならない。これは『法華経』『勝鬘経』『維摩経』の三経に対する註釈で(略)
(法華経の)安楽行品の「常好坐禅」という一句の解釈はきわめて興味深いものである。すなわち、ここでは経の本文はもちろん、法雲などの解釈も「常に坐禅を好め」という意に解しているが、『義疏』ではあえて異をとなえ、山中で坐禅ばかりしているような修行者は小乗の禅師であり(「常好坐禅少(小)乗禅師」)、菩薩が近づいてはならない十種の対象(十種不親近)の一つとみたのである。
もし本書が太子の真撰とするならば、ここは自ら在俗の仏教者としての実践を貫いた太子が、世俗を離れた山中修行を否定した強い自己主張がみられることになる。一体、太子の
みでなく、日本の仏教史を通して在家重視の傾向は一つの大きな特徴となる」(38~40頁)
10 廣田宗玄「「狗子無仏性話」に関する考察」
「宋代以後、ダルマを面壁九年を行ずる「壁観婆羅門」と規定するに伴って、「壁観」そのものを坐禅の意と解されるようになった。しかし、本来の「壁観」は般若空の実践そのものであったはずであり、宋代以後の「壁観」の解釈は、明らかな偏向であり、その一端が黙照禅の台頭であった。」(21頁)
11 柳田聖山『禅思想』
「当時(唐中期)、すでに座禅を軽視する一部の傾向があった」(28頁)
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