座禅普及

主旨は慈悲。行は座禅。

随時更新『問答メモ』

問1 禅とは何か?

答1 A 敢えて言うなら、そういう下らないことを考えないこと


 B 鈴木大拙『禅』41~42頁

「禅は、要するに、自己の存在の本性を見ぬく術であって、それは束縛からの自由への道を指し示す。(略)それはわれわれの心に生まれつきそなわっている創造と慈悲の衝動を、すべて思うままに働かせることである。一般に、われわれはこの事実、すなわち、われわれは自分を幸福にし、たがいに愛し合って生きて行くのに、必要な機能をことごとくそなえているのだという事実に、気がつかないでいる。


 C 石井清純『禅問答入門』22頁
禅宗系の諸派に共通しているのは、まず、現実にあるすべての事象に真理を見る、という徹底的な現実肯定の思想です。そしてさらに、次のような基礎概念を有しています。
 ① 経典や文字は直接真理を伝えていないので、それに依拠しない(不立文字・教外別伝)
 ② 自分の本性(本質)は、本来的に清らかなものである(自性清浄)
 ③ 悟りとはその清らかな本性を認識し自覚することにある(見性成仏・本来面目)
 ④ 正しい教えは、釈迦牟尼仏釈尊)以来、師と弟子の心から心へ伝授される(以心伝心)」


問2 仏教とは何か?

答2 下らないことを考えない(で慈悲の実行をする)教え

 「佛教は慈悲を以て主旨とする」
 (釈宗演『一字不説』2頁)


問3 悟りとは何か?

答3 A そういう下らないことを考えないこと

  B 上座仏教…貪瞋痴が滅すること

「経典において、『悟り』の境地(略)は、『貪欲の壊滅(略)、瞋恚(しんい)の壊滅(略)、愚痴の壊滅(略)』と定義されるのが常である。」
(魚川祐司『仏教思想のゼロポイント』42頁)

  C 禅…自他不二を体認すること

  D 横田南嶺…「衆生本来佛也」を体認すること


問4 仏教の実践として何をするべきか?

答4 慈悲の行為と、敢えて言うなら只管打坐


問5 「敢えて言うなら」とは?

答5 只管打坐自体が他の存在に働きかけることなく、自由のままでいさせてやる意味で慈悲の行為。

 扁桃体の活動を低下させるとともに、テストステロンを分泌させることで、慈悲の実行をしやすくするという意味でも慈悲の行為。


問6 読経は、すべきか?

答6 私ならやらない。

 慈悲の行為の準備も慈悲の行為の一部と言えるが、準備の時間は短ければ短いほどよい。


問7 仏教の実践が慈悲の行為なら、食事や睡眠は?

答7 自分の肉体も慈悲の対象だが、勘違いしそうなので、慈悲の準備も慈悲の行為だとしておく。


「社会のために勉強し、社会のために生きる、道のために飯を食い、道のために茶を飲むというように、道のためにするのでなければならぬ。道のために尽さねばならん身体だから、お互い不養生するわけに行かぬのである。自分だけのためならどうでもよい。」
澤木興道『禅談』313頁)


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